「…………」

練習が終わって、河川敷で自主練習。毎日のように続けていた日課だ。
今日もまた俺はジャージ姿のままボールを追いかけて、
でもやっぱり30分ぐらいで切り上げて病院へ向かうつもりだった。

「…………」

1・2・1・2とステップを踏んで、コーンの間を走り抜ける。
たまにもつれて転びそうになったりボールが変な方に転がって行きそうになるけど、
前に比べればずっとずっと上手く走れるようになった。

「…………」

でも、その。それはあくまで一人で練習している時の話だ。
今は背後から物凄い殺意を感じるから、いつも以上に変な動きになってしまう。
俺はあらぬ方向へと転がっているボールを拾い上げると、
いい加減我慢しきれなくなっていたこともあって、渋々背後に向き直った。

「あ……あのさぁ、剣城。なんでここに居るの?」

土手にどっしり腰を据えて、剣城は辺りを威嚇するかのように視線を送っている。
……こいつは野戦地に送りこまれたスナイパーか何かなんだろうか。
目が怖いって言うか、敵兵を血眼で捜してる目にしか見えないんだけど。
さっきから無言で俺とその周囲とをこの殺意に満ち溢れた視線で貫いていたせいで、
今日の自主練の成果は残念ながら散々な物だった。
俺がびくびくしてるのも構わないで、剣城はまた周囲を警戒している。

「返事聞きに来るアホを殴るんだよ」
「返事って何の――ああ」

昼休みの話、本気にしてるんだ。剣城に殴って断ってもらうってやつ。
この圧縮されずに垂れ流されてる殺意の原因は、面倒事に巻き込まれてるからか。
つくづく律儀だなあこのひと。そこが好きなんだけど、とは口に出さない。

「葵の言ったこと、本気にしないでいいよ? 返事ぐらいちゃんと言えるから」
「相手が聞かねえかもしらねえだろ」
「聞いてくれるまでちゃんと言うから大丈夫だって」
「力づくでなんかされたらどうすんだよ!」

ちょっと大げさっていうか的外れだと思うんだけど、どうなんだろう。
剣幕に圧されて、俺は思わず後ずさる。

「……心配しすぎじゃない? そんなことする人じゃないよ?」

俺が一生懸命フォローすればするほど、剣城は鬼気迫る顔になる。
果たしてどうすればいいんだろう。
何が原因で剣城がこうなってるのかが解らないから、対処法も全く解らない。
剣城はこの騒ぎが面倒だから怒ってるんじゃないの?

「剣城さ、ほんとに、着いてくるつもりなの?」
「行く。で、殴る」
「殴るって……はあ、もう、解ったよ」

何かよく解らないけど、剣城がそうしたいなら止めない事にしよう。
剣城がここにいるせいで、その人のところに行くに行けないのが悩みだったんだ。
もう開き直って、一緒に行こう。それで剣城に怒られたらその時だ。

「今からそのひとのとこ行く。制服着直してくるから、ちょっと待っ――」
「ジャージのままでいいだろ」

剣城の声に、俺はきょとんと目を見開く。

「え、でも、せっかく会いに行くのに……」
「断りに行くんだろ!? めかしこんでどうすんだよ!」

めかしこむって今の中学生が使う言葉じゃないと思うんだけど。
でもまあ、おしゃれしたってしょうがないか。
俺は練習用具を適当に片づけてから、放り投げていた鞄を拾い上げた。

「剣城。絶対に何も言わないでね」

俺はそう言って、剣城の目をじっと見返した。
剣城は訳が解らない体で、小さく首を傾けていた。



「おい、松風。ここって――」
「何も言わないって約束だよ」

明らかに動揺している剣城を無視して、いつか爆走したエレベーターに二人で乗る。
剣城と二人でここに来るのは数日ぶりの話だけど、
あの時とは違って、動揺しているのは剣城の方だけだった。
もう剣城は解ってるんだろうと思う。俺の目的地も、俺が誰に告白されたのかも。
ポン、と軽い電子音。ドアが開いて、真っ白な廊下に出る。
迷わずに一歩踏み出したら、慌てたような足音が背後から聞こえた。
お互いに無言だった。無言のまま、その病室を目指した。
閉ざされていたドアを、押し開ける。
窓の外を見ていたその人は、ふっと優しく微笑んで俺たちを見つめてきた。

「待ってたよ。京介、天馬くん」
「驚かないんですね」
「見えてたからね、二人で揃ってここまで来てるのは」

部屋の中に入れないまま突っ立ってる剣城は気にしない。
俺はもう背後を意識から外して優一さんのほうに歩いていく。
今日は最初から窓が閉じていたから、それほど肌寒さを感じることはなかった。

「返事、しに来たんです」
「今は聞きたくないなあ」

優一さんはにっこり笑って、俺と背後の剣城を一瞥した。

「言ったはずだよ。天馬くんが俺を選ぶ日まで待ってるって」

……このひと、最初から俺に断らせる気なかったんじゃないの?
笑顔に気圧されて、俺は思わず次に続く予定だった言葉を呑みこんだ。
何を言っても、「それでも待ってる」の一言で流される気がした。

「期待されても俺、好きなひとのこと、諦めるつもりないですよ」
「うん。だから、そのひとより俺を好きになるまで待っててあげる」
「その日は一生来ないです」
「来るよ。今じゃないけど、いつかは」

ああ、案の定だ。すっごいいい笑顔で黙殺されてる。
そして、優一さんは俺がどうしてそんな事を言うのかも察していたらしい。

「京介の言葉で断るなら、その返事は聞かない」

そう言った時の目は、弟そっくりの冷たく鋭い輝きだった。
氷みたいに透き通った目が、俺を通り抜けて背後の剣城に向かう。
恐る恐る振り返ったら、剣城も剣城で優一さんをじっと睨みつけていた。

「……え」
「天馬くんが諦めないなら、俺も諦めない。
 だから、その程度の気持ちじゃ振られてあげないってことさ」

昨日したみたいに、優一さんが俺の手を取る。
あ、これ、なんかまたえっちなことされる気がする。
ほんとにえっちなことされてる訳じゃないのに変な気分になるキスを、またされる。
それを自覚して、俺は変に身を固めてしまった。

「お、俺、ほんとに好きな人、いてっ……」
「往生際が、悪い!」

固まってる俺と優一さんの間を引き裂いたのは、他の誰でもない剣城だった。
前に後ろ手でジュースを俺に投げ渡して来た時みたいに割り込んで、
俺のことは自分の背後に押し込むようにして視界を遮ってくる。

「こいつがこう言ってるんだから、諦めろ!」

そう言った剣城の顔は見えないけど、
声の感じからして怒ってるんじゃないかなって思った。
でも、そんな剣城の怒りも冷ますぐらいに凍てついた声を返される。

「京介が諦めてないのに、俺にだけは諦めろって言うのか?」
「なっ」
「それはちょっと身勝手すぎるだろう」

剣城の背中に押し込まれた俺には、二人がどんな顔をしているのかは解らない。
少なくとも、俺は一人で困惑していた。何が何だかまるで理解できない。
でも……俺が今しなきゃいけないことは、言わなきゃいけないことは、ひとつだけだ。
剣城が言えっていったことじゃなくて、自分の言葉で話す。
それってもしかして、こういう意味なんじゃないかって思った。
俺はぎゅっと自分の手を握りしめる。気合は十分。
そしてすうっと息を吸い込んで――心を決めて、口にする。

「俺、剣城が好きなんです」

目の前の背中が、後ろから見ても解るくらいに大げさに跳ねた。

「俺は剣城が……剣城京介が好きです。
 今のところは全然振り向いてもらえてないけど、諦められないんです。
 ……優一さんの気持ちは嬉しいです。でも、ごめんなさい」

俺にしか言えない、俺の言葉。俺にしかない想い。
剣城が好きだっていう、昨日は言えなかったけど、最初から揺るいではいない気持ち。
優一さんの目を見てそう言ったら、あのひとはふわりと笑った。

「知ってたよ」

前にも言いましたからね。
でも、その突っ込みは入れない。そもそも、知ってた上で告白してきたんだから。

「そこまで言うなら、今は振られてあげるしかないか」
「今は、って……」
「言ったはずだよ。京介より俺を好きになる日を、ずっと待ってるって」

優一さんは笑顔だ。でも、さっきまでのそれとは少しだけ違う気もした。
俺が知ってる優一さんの笑顔なんてほんのちょっとだけど、それでも違うような気がした。
――とにかく、俺の気持ちは優一さんには届いたらしい。

「そんな日、来るかどうかはわかんないですよ」
「来るよ。きっと、天馬くんは――」
「来ない」

俺と優一さんの会話を遮る様に、剣城の手が上がる。
まるで、俺たちの間に自分っていうバリケードでも張るみたいに。
紫色のマントが、カーテンが引かれたかのように俺と優一さんを切り分けた。

「絶対、その日は来ない」

剣城がそう言った瞬間に、優一さんはいつも通りの笑顔に戻った。
そんな気がした。

「用は済んだだろ。行くぞ」
「え」

振り返った剣城が、俺の手を物凄い力で引っ張る。なんかこれ、デジャヴを感じるんだけど。

「またおいで。今日はそんな暇ないみたいだけど、ジュースまた買ってあるから」
「一人では来させない!」

言い捨てるみたいにそう叫んで、剣城は思いっきり俺を引く。
俺は前と同じで何も言えないまま、ぐいぐいとエレベーターまで連行されてしまった。

「ちょ、ちょっと待って! 剣城、いきなり何――」
「いきなり何かしたのはお前の方だ!」

言いながら、剣城がボタンを押す。行き先は一回じゃなくって、屋上だった。
あ、この展開知ってる。昨日とか今日とかじゃなくて、結構前にあった展開だ。
病院の屋上まで連れていかれて、説教されるパターン。
あの時は、このエレベータ内がどれほど気まずかったことか。
今も結構空気が重いけど――と思ったのは、一瞬だった。

「松風」
「え」

手が離れる。離れた手は、まるで俺を閉じ込めるみたいに壁に置かれる。
ただでさえ密室で逃げようなんてないのに、ますます逃げ道がなくなる。

「つる、ぎ」

俺がその言葉を言えたかどうかは解らない。
それよりも早く、俺の口は塞がれてしまったような気もする。
影が落ちたかと思ったら、柔らかいけど、ちょっとがさがさした感触が俺の唇に触れる。
俺の目に映るのは、意外と長い剣城のまつ毛とかそれぐらい。

――俺、もしかして、今剣城にキスされてる?

自覚した瞬間に、顔から火が出るんじゃないかってぐらい体中が熱くなった。
え、なにこれ。どういう展開なんだろう。流石にこれは全く予想してなかったんだけど。
頭の中がぐるぐるしてる俺に降ってきたのは、絞り出すような声だった。

「……やり直させろ」

やり直すって何を、と聞き返す前に、もう一回キスされる。
ポンって軽い電子音がして、エレベーターが屋上に着いた事を知らせてくる。
でも、俺たちは二人とも全く動こうとはしなかった。
もし今ここで誰かが乗ってきたら、剣城はどうするつもりなんだろう。
よく解んないけど、解んないままでもいいかなって思った。
だから剣城の胸元に手を添えて、目を閉じたままちょっとだけ背伸びした。



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