優しく手を引いて、その手の甲に唇を押しつける。
王子様がするような恭しいキスが自分の手に落とされるのを、俺は黙って見ていた。

「……え」
「テレビの中でボールを追いかける君を見て、恋に落ちた。
 昨日君に会って、今日また来てくれて、ぼんやりとしたものが確かな形になった。
 それが俺の本心だけど……信じてくれないのかな」

蜂蜜みたいに甘くとろけるような目が、じっと俺を見つめてくる。
なんかすごい、説明に困るんだけど、しいて言うならえっちな感じがした。
背筋がぞくぞくする。怖い? 恥ずかしい? どれも違う気がする。
産まれて初めて感じる背筋を駆けあがっていくような痺れに、俺は身動きを止めた。

「何個も何個も質問をするのは、ちょっとずるいね」

握られていた手が離される。俺の手は空中に固まったままだったけれど。
風にあおられてカーテンが揺れる。夕暮れに吹き込む秋風は酷く冷たかった。
でも、例え空気が入れ替わっても、俺たちの間の雰囲気が変わる訳じゃない。
俺は何も言えないまま、優一さんの目を見つめ返していた。

「言い方を変えようか。今言ったのが俺の本心だから、信じて」
「……はい」

缶ジュースをベッド横の棚に一度置いて、窓を閉じる。
風の音からも隔絶されて、ドアも閉まっている部屋は完全な密室に変わった。

「嘘だとは思ってないですよ。現実味もないなあって思いましたけど」

ベッド横の椅子に座って、もう一度ジュースを飲む。
シュワシュワと弾ける泡が、さっき走った痺れを逆送するみたいに喉を通り過ぎていく。
だけど、胸を埋めるもやもやは晴れない。
真綿でそっと締め上げていくみたいに、優一さんの声が心に絡まる。

「なくても信じて」
「……信じ、ます」

自分でそう呟いたら、余計にそれは俺の心に爪痕を残した。
今さらながら、この言葉は信じちゃいけなかったんじゃないだろうか。
だって、信じたって信じなくたって、俺の好きな人は剣城だから、
優一さんが何を言ったってそれは揺るがないはずなんだから、
信じるとかの前に、駄目ですって言わないといけなかったんじゃないだろうか。
それができなかったのは何故かを考えて、すぐに理解する。

「ねえ、天馬くんは言ったよね」

俺をじっと見つめる目が、剣城と同じ蜂蜜色をしているから。

「君は昨日『剣城が好きなんです』って、『剣城の全部が好き』って言ったよね。
 天馬くんは解ってるのかな……俺も、『剣城』なんだよ」

足が動かない故にベッドに縛り付けられている優一さんから逃げるのは簡単なはずだった。
だけど、俺は逃げることなんてできないで、
すっかり温くなった缶ジュースを握り締めたまま座り込んでいる。
金色の目で、まるで俺の左胸を貫くみたいにじっと見つめられて、呼吸すら止めていた。
産まれて初めて男のひとに告白されてしまった。それで、頭が真っ白になった。

「……そろそろ、時間だね」

優一さんが横目で時計を見た。もう、夜も遅い。面会時間ギリギリになりかけている。
何だか気まずくなっちゃったから、それはそれで丁度良く感じた。
俺は恐る恐る立ちあがって、足元に放っていた鞄を拾い上げる。

「いつでもおいで」
「は、はいっ」
「返事も、今じゃなくていいよ。京介じゃなくて俺を選ぶ日を、ずっと待っててあげるから」

背中で受けたその声は、傷付いていた場所をすうっと埋めていくような響きだった。

「……はい」

俺は結局、急に落とされた告白を突っぱねることもなにもできないまま、
頭が真っ白な状態でとぼとぼと一人帰り道を歩いて行った。



「ねえ葵、俺って駄目な子なのかなあ」

昼休みに葵にべったりくっついて、俺は溜め息を漏らした。
葵は綺麗なブルーの目を俺に向けて、何が何だか分からないって顔をして首を傾げる。

「何かあったの?」
「……誰にも言わない?」
「大丈夫大丈夫。私、ハマグリみたいに口硬いから」

それ熱したらすぐ開くじゃん。信用していいのかなこれ。
でも、葵以外のひとにこんなこと聞けないし。

「すきなひと、いるんだけど。そのひと以外に告白されちゃって、しかも断れなかった」

俺がそう言った瞬間に、葵の目は驚愕に見開かれた。
そうだよね、俺が好きな人いるって話からそもそも葵に黙ってたしね。
今思えば最初から葵に聞いておけばよかったんだけど、
なんか気恥ずかしくって今の今まで言えてなかったんだからしょうがない。

「……それ、告白してきたのってキャプテン? それとも、倉間先輩とかその辺?」
「なんでそうなるの!?」

なんでそこでその二人の名前が出てきたんだろう。
お二人とも先輩としてチームメイトとして仲はいいけど、そんな甘酸っぱい感情はないはずだ。
っていうかお二人からみた俺って「一年生のMF」とかそれぐらいじゃないのかな。

「あ、違うんだ……そっか、じゃあ全然ぽっと出の人なんだ……へー、命知らずだなあ」

何故そこで命知らずって感想が出てくるのかも解らないけど、もう突っ込むのは止めた。
そんなに俺って破壊衝動に満ち溢れた何かが出てるのかな?
スカートもパンプスも似合わないような、一緒にいるだけで命の危機を感じるような、
そういう「可愛い女の子」とは対極の位置にいるんだろうか。

「どっちにしても、天馬がそうなるのって珍しいかも。
 今までだったら絶対1か0かだったのに」
「うん……自分でも持て余しちゃって、どうしたらいいのかと」
「人に聞けばいいじゃん」

だから今葵に聞いてるんだってことをこの子は解ってるんだろうか。
恨みがましく葵を睨んでみたら、にっこりとお花みたいな笑顔が帰ってきた。

「ほら、今いい相談役呼んであげるから。剣城ー」

ひらひら手を振る先には、こっちをガン見している剣城の姿。

「えええええちょっと何してんの葵いいいいい!!」
「ほら、天馬から断りづらいなら剣城から殴って貰えばいいんじゃないかって思って」
「流石に酷過ぎるよね!?」

葵の肩を思いっきりひっぱたく。幼馴染みだしそれくらいじゃお互いに何も思わない。
本当にハマグリだったこの子。本気で余計な事をしてくれた。
よりによって、何でここで呼ぶのが剣城なんだよ!
葵は知らないからしょうがないんだろうけど、そのひと当事者であり関係者なんだよ!?
そんな叫び声はあげられないから、もう一発殴っておこう。
そう思ったところで、物凄い勢いで接近してきた剣城が俺の両肩をがっと掴んだ。

「え」

慌ててそっちに視線を向ける。剣城の目は完全に据わっていて、俺は思わず呼吸を止めた。
針でちくちく刺されてるみたいに鋭い視線が、俺を貫く。

「……誰を殴ればいい」
「誰も殴らなくていいんだよ!」

剣城も剣城で葵のボケに付き合わなくていいのにそんなこと言い出すし。
そもそも話の流れ理解してるんだろうか。何の説明もしてないよ俺。
質問したのは俺の方なのに、答えが出ないまま騒ぎが起きて、
問題が宙ぶらりんになったまま訳が解らない状態になってしまっている。

「っていうか、お前……好きじゃないなら、すぐ断れよ。勘違いさせるから」
「そうなの? だって、待ってるって言われたし……」
「余計な期待持たせんな。完膚なきまでに振れ。そんな日は一生来ないって断言しろ」

意味は解る。解るけど……なんでこんな必死なんだろうこのひと。
そもそも俺たちの話、割と最初の方から聞いてたんだ。耳良いなあ。
俺大丈夫だよね。好きな人が剣城で告白されたのが優一さんだって、
そういう個人を特定できる情報は何も口に出してないよね。
焦る俺とは裏腹に、葵は笑いを噛み殺すような顔で剣城を見ていた。

「その日が来たら困るの、剣城だもんね」
「お前から殴るぞ」
「聞いた? 剣城ってば女の子でも殴るんだってー。怖いね、天馬」

葵は俺の後ろにひょいっと隠れて剣城からの視線を避ける。本気で止めて欲しい。
とにかく場を収拾させよう。それと、自分の気持ちもはっきりさせよう。
ぎゅっと握りこぶしを作って気合いを入れてみた。

「うん。ちゃんと言う。好きな人、諦められないから、駄目ですって言うね」

剣城は一瞬ほっとした顔になってから、そのあとまた表情を険しくした。
昨日から百面相してるけど一体どうしたんだろう。
優一さんは「自然だ」って言ってたけど、これやっぱり普通じゃないと思う。
俺の知ってる剣城はこう、いっつも仏頂面でクールな感じだよね。
脳内で美化が始まってるような気がしたけど、その疑問に構うのはやめた。

「それもそれで困ったね。今言ったら剣城もアウトじゃん」
「……もう一回言う。お前から殴るぞ」

剣城が俺の背後の葵をぎろりと睨んでいる。俺まで睨まれている気分になるから止めて欲しい。
とりあえず放課後、もう一度優一さんに会いに行って、今度はしっかり断ろう。
それで、剣城にも早いうちに引導渡して貰おう。

「剣城、俺、頑張るよ。ちゃんと断って、告白もちゃんとする」

すぐ断る。勘違いさせるから、余計な期待は持たせないで完膚なきまでに振る。
剣城がそう言ったんだ。剣城にもそうして貰おう。
いつまでも片想い引きずってたってしょうがないしね。

「……告白は、なしでも、いいんじゃ」
「え?」
「何でもねえよ!」

だから何に怒ってるんだこいつは。
そのあとは、例によって剣城から一日中睨まれる羽目になった。
最近剣城からの視線は良く感じるけど、殺意とか不安爆発とかそんなのばっかで、
ときめきとかどきどきするような何かは全然感じないなあ。
優一さんに見られてる時は、物凄い居心地の悪い擽ったさが八割だったけど。
そんなことを思っていた。



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