それからしばらく、部活のこととか学校の話なんかを適当にして、
お昼ご飯が病室に運び込まれた辺りで、急に剣城が俺の手をとった。

(うあ、剣城が、手)

俺より一回りくらい大きい手に、包まれるように握られる。
意識してるの俺だけなのは知ってるけど、急な展開に頭がついて行かなかった。
え、本当にちょっと待って。何急に俺の手なんか握ってんの。
俺はどうすればいいの。顔が赤いの、剣城に気付かれてないよね?

「じゃあ兄さん、また来るから」
「うん……いつでもおいで」

優一さんは俺に笑いかけてから、まずは俺たちが手を握っていることを確認すると、
何かを言いたげなじとっとした目で火花でも散らしたいみたいに剣城を見据えた。
……ここに来たのは今日が二回目だけど、確実に雰囲気がおかしい気がする。
赤の他人の俺にはそれを指摘することなんてできやしないけど。

「ほら、行くぞ」

ここにきて俺は最初の宣言である『お人形さん』状態になった。
だから、剣城に手を引かれるままに立ち上がるだけ。
何も言えないし何も返せない。どうすることもできずに流されるだけ。

「また来てね」

優一さんはそんな風に言って俺に微笑みかけてくれたけど、
剣城が凄い力で俺を引っ張るから、返事も何もできなかった。
つかつかと足音を立てながら、飛び出すような勢いで剣城は駆けていく。
ついて行くのも、歩くペースが違うのに手を離してくれないからひたすら辛い。
慣れない靴で潰された指が悲鳴を上げている。

「剣城、待って」

何回もそう言ったけど、結局立ち止まってはくれなかった。
剣城がずんずん進んでいくから、仕方なく紫色の上着が翻る後を追いかけていく。
一息つけたのは、丁度この階に止まっていたエレベーターに滑り込んでからだ。
行きと同じ、二人っきりの密室。無重力感。違うのは、何故か離してくれない手だけ。
無言の圧力を感じる気まずい空間は、行きと全く変わりない。

「……待って、って言ったじゃん」
「うるせえ」
「足痛いんだよ」

剣城は一瞬目を見開いてから、俺のパンプスを見てきゅっと瞳孔を細くした。

「そんな靴履いてくるからだろ」

言われた瞬間に、時間が止まる。握られていた手も、一気に温度が下がった気がした。
そんな靴……か。俺、慣れてないけど、頑張ってみたのに。
かわいいって言葉に出して欲しい訳じゃないけど、
それに近い何かを感じて欲しいなってぐらいの淡い期待を抱いていた。
だけど剣城が何でもない風に言うから、すっごい胸に突き刺さった。
……デートだって、勘違いしたのは俺の方だけど。
頑張ったけど、かわいいとかそういう感想は一切ないんだ。
ほんとに俺、剣城から見たら、こんな格好しててもなんの魅力も感じてもらえないんだ。
やばい、本気で泣くかも。あ、鼻の奥あたりツンとしてきた。

(ここで泣いたら、面倒臭いって、思うよね)

我慢しなきゃ、我慢我慢。
とりあえず、自分から手を離す。これ以上は無理だって思ったから。
離した瞬間に剣城が何故か傷付いた顔をしたけど、される筋合いないから無視。
泣きたいのはこっちなんだよ。今物凄い頑張ってこらえてるんだから。
そうは思うけど、逆恨みっぽいし口には出さない。
それにしたって何も言わないのは不自然だから、なにか違うことを言おうと口を開く。

「男の子と日曜日に待ち合わせてお出かけなんて、したことなかったから。
 それってなんか、デートみたいだなって、思ってたんだ」

でも、口から出たのはそんな事だった。

「は」

剣城の目がまるく見開かれたような気がしたけど、それに構う余裕はどこにもなかった。
こんなこと言ったってどうしようもないし、第一これじゃあ剣城を責めてるみたいだ。

「初めてで、何着たらいいか解んなくて、こんな格好してたんだよね。
 ……スカートとか、パンプスとか、普段は全然だから、勝手がよくわかってなくって」

言うか言わないかのうちにポンって軽い音がして、一階に着いたことを知る。
一歩前に踏み出した俺に気付いて剣城が手をもう一度伸ばしてきたけど、
今手なんか握られたら絶対泣くだろうなって思ったから、
掴まれないようにあともう数センチってところで自分から手を引いた。

「なんか勘違いして浮かれてて、ごめんね」

ドアが開いた瞬間に、飛び出すような勢いで一目散に駆け出す。

「……ッ松風!」

剣城がなんか言ってるけど無視。全力で無視。
自動ドアを抜けて、とにかく速く、とにかく遠くに走る。
入り口すぐにあるエレベーターってこういう時便利だ。速攻で飛び出していけるから。
足は痛いけど、本気出して走ったら剣城は多分追い付けないはず。
短距離だけでいいなら、サッカー部で二番目に足が速いのは俺だ。
速水先輩は別格だからしょうがないけど、それ以外なら他の男子部員より俺の方がずっと早い。
だからとにかくひた走った。試合と同じくらい真剣に駆け抜けた。
ああもう、ほんとダメだ今日。何もかもが酷すぎる。結局面倒臭い子になってるよ俺。
剣城に嫌われるようなこと、したくないのに。
嫌だなって思われること、ちょっとでも減らしたいのに、全然うまくいかない。
かえってどんどん面倒だなって雰囲気を作っちゃってる気がする。

(もう追って来ないか……逃げ切った、かな)

病院からは少し遠ざかって、人影もあまりない路地に入ってふうって息をついた。
だけど、いつ追いかけられるか解らないから、立ち止まらないでとぼとぼ歩いていく。

(思ってたより早く用事がなくなっちゃったな)

こんな気合い入った格好して出て行ったのにすぐ帰ってたんじゃ恥ずかしすぎるし、
ひとりで街を歩くには寂しすぎる。けど今から葵呼ぶわけにもいかないし。
……となると、行き先は一つか。
すっごい気まずいけど、背に腹は代えられないからしょうがない。
はあ、って今度は溜め息ついて、俺はとぼとぼ歩きだした。



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