とにかく、これで懸念の一つは解決しました。問題は高原さんです。
高原さんは、おぼろ丸さんの事をどう思っているのでしょう。
強い。これは確実でしょうが、それ以外があまりに不透明です。
おぼろ丸さん本人も言っていましたが、お二人は戦闘関連以外での会話がないので、
感情を判断出来るだけの情報が無きに等しいのです。
確かなのは僕が見た高原さんが、絶対いつもと違う目をしてたって事ぐらいで。

「あいー」

落ち込んでいるのかと勘違いされているのか、さっきからポゴさんが僕の頭を撫でています。
それはまるで子供をあやす父親のようでした。

「えっと、大丈夫ですよ? 考え事してるだけですから……」
「あいー」

解って貰えたのかそうでないのかは解りませんが、ポゴさんは笑顔です。
ああ、ついに(多分)年下にまで気を遣われてしまいました。
それも、恐らく初恋すらまだなんじゃないかなってくらいの子に。
……え、まだですよね? まさか妻子持ちなんてこと、ありませんよね?

「ポゴさんに先越されてたら、流石に泣くかも……」
「何をだ?」
「うわあああッ!?」
「あいいいいっ」

僕が急に大声を上げたので、驚いたポゴさんが涙目になってしまいました。
そんなつもりはなかったんですけど、やっぱりちょっと可哀想です。
だけど僕は、正直ポゴさんに構っていられる余裕なんてありません。
だって後ろから聞こえた声が、あの人のものだったんですから!

「高原さん、驚かさないでくださいよ」
「拳法やってんだろ? だったらこのくらいで驚くなって」
「それはそうですけど、ちょっとくらいは驚きます!」

あいーあいーと幼い声が聞こえますけど、答えることはできません。
そもそも何を言ってるのかが解りませんが。

「いえその、ポゴさんが実は妻子持ちだったらちょっと落ち込むなぁと」
「……それは俺でも落ち込むな」
「ですよねぇ……って、そんな話がしたいんじゃないんですよ!」
「お?」

僕は立ち上がって高原さんを見つめます。
つられてポゴさんまで立ち上がってるみたいですが、それに関しては気にしません。

「高原さんって、おぼろ丸さんが好きなんですか」

僕は大真面目に言ったんですが、高原さんは盛大に吹き出しただけでした。
遥か上の方にある高原さんの顔は困惑と呆れが半々くらいです。

「お前もアキラも、何でそんな突飛な話しかしねえんだよ」
「アキラさんにも聞かれたんですか」
「聞かれた。いや、ありゃ尋問だな。ひでえ言われようだった」

アキラさんが何を言ったかは知りませんが、高原さんの目は遠くを見つめていました。
言うなれば、死んでから三日は波打ち際で放置された魚の目です。

「お前らが期待してる様な意味じゃねえよ。第一あいつ、子供なのにちっとも子供じゃねえ」
「子供、嫌いですか?」

最早反射の域で切り返しました。

「嫌い、っつーか。嫌な思い出あんだよ。俺のせいで死んじまった子供が居てさ」
「あい」

高原さんはいつしか無表情で座り込み、いつもよりずっと低い声で続けます。
そしてポゴさんの頭を無造作に撫で回しました。ポゴさんは居心地悪そうでしたけど。

「子供……ってのもなんか違うな。まぁ俺からすりゃ子供だったけどよ。
 それなりに目かけてたんだが、死んじまった。それ以来、なんかちょっとな」

その気持ちには覚えがあります。僕も似たような理由で兄弟子たちを失った身です。
だから何も言いませんでした。寧ろ、言えませんでした。

「ま、じーさんだのおっさんだのも死んでるから、んな事言ってたら全方位人間不信だぜ」

そう言って高原さんは笑います。何でもないと言うように笑うのです。
おぼろ丸さんが如何に高原さんを良く見ていたか、僕は思い知りました。
高原さんは揺るぎません。
罪の意識がある訳でも、背負って生きようとする訳でもありません。
ただ、事実を事実として受け止めているだけなのです。

「……高原さん、強いですよね」
「当たり前だろ」
「関わりが薄いにも関わらずおぼろ丸さんが高原さんに惹かれた理由、よく解ります」

高原さんはぶはっと盛大に吹き出して、不機嫌そうに僕を見ます。

「でも、高原さんは違うんですもんね。おぼろ丸さん、ちょっと可哀想です」
「お前らなぁ……男同士でんな話して何が楽しいんだよ」
「まぁ、橋が転がっても楽しい年頃ですから。何の話をしていても楽しいですよ」
「お前の話、頭良すぎて嫌だ。俺にはついてけねえ。そういうのはアキラとやってくれ」

ひどくうんざりとした顔をして、高原さんが立ち上がります。
さっきまで見下ろしていたはずの顔は、遥か高く遠くにあります。

「ほら。くだらねえ事言ってないで、とっとと戻ろうぜ」
「あいっ」

ポゴさんを抱え上げて立ち去る高原さんの後ろ姿を、僕はぼんやり眺めていました。
溜め息すら出そうな気分でした。

「……僕もおぼろ丸さんも、ましてサンダウンさんも、それこそポゴさんも。
 死なないから、大丈夫ですよ」
「アキラも入れてやれよ。お前ら、頭いいくせに子供みたいな喧嘩しかしねえよな」
「子供ですもん。でも、死にませんから」

僕が笑うたび、高原さんの顔は強張ります。
ポゴさんは僕と高原さんを見比べて、それからへらりと笑いました。
解らないからこそ、笑えたのでしょう。

「僕、死なないです」
「そういう事言う奴の方が死ぬんだって、軍人の知り合いが言ってたぜ」
「……そのお知り合いの方は」
「死んだ」

高原さんは無表情です。

「ま、お前の心配はしてねえよ。強いもんな」
「おぼろ丸さんよりもですか?」
「今日のお前はおぼろ丸ばっかりだな」
「それはまぁ、重要なので」

じと目で僕を見つめてから、高原さんは溜め息を一つこぼしました。
奈落の一歩手前で呼び止められた。そんな感じの顔色です。

「僕、結構解ってるつもりなんですよ? いつも高原さんのこと見てますから」
「だから冗談でもそういうの止めろって。お前が言うと怖いんだよ」
「ふふふ。だって本当のことですもん」
「あのなぁ」

ようやく笑顔になってくれた高原さんの横について、ポゴさんと手をつないで、
僕はぼんやりとした足取りと思いを、何とかまっすぐにしようと思ったのです。



「おぼろ丸に変な事吹き込んだの、お前か」

戻るなり、アキラさんに睨まれました。

「お前、おぼろ丸に何したんだよ」
「全然覚えがないです。
 高原さんが好きだってアキラさんに教えてあげて下さいって言ったぐらいで」
「やっぱお前の入れ知恵かよこのクソガキ!」
「アキラ殿、少し落ち着かれては――」

差し出された手をありえない速度で振り払うと、
アキラさんは目をちかちか金色に光らせてそのままおぼろ丸さんの耳を引っ張ります。

「6割はお前のせいなんだから少し黙ってろこの脳みそヨーグルト野郎!」

理不尽だとは思いますが、止める気にはなりませんでした。
だって、本当におぼろ丸さんのせいです。高原さんの目を釘付けにしたせいです。
僕は黙っていました。高原さんは、やれやれと首を振ります。

「揃いも揃って女子高生かよ」
「ジョシコウセイ」
「こっちの話だから気にすんな。まぁ、付き合うだけ無駄だって事だ」

高原さんはまた死んだ魚の目になって、深々と溜め息をつきました。
そこに嫉妬の色がなかったので、僕は落ち着いてその様子を眺める事ができました。

「高原さん」
「何だよ」
「いえ。おぼろ丸さんのこと、本当に何でもないみたいで良かったって思ったんです」
「あ?」

眼窟に嵌った2つの金色が、ぎらぎらと高原さんと僕を睨み付けています。

「何かあるなら何があるってんだよ」
「それはまぁ、そうですね。おぼろ丸さんに倣うなら、僕らを弟のように思ってるとか」
「ユン殿から明確な悪意を感じるのでござるが」

金と翠玉。2つの鋭い輝きが僕を突き刺しましたが、平然としていられました。
何せ、青ざめる高原さんを見ているのがひどく面白かったのです。

「ユン、お前なぁ」
「嫌ですか? 僕たちが弟じゃ」
「俺は1人のが気楽でいいんだよ」
「良かった。それなら僕、弟止まりになっちゃう可能性はないですね」

不意に、ふっと胸が軽くなりました。
見ればさっきまで殺意すら見え隠れしていた金色が、若草色に姿を変えています。

「お前さ、ほんと性格悪いよな」

貴方は口も悪いですよね。

「心の中で反論すんな。オレが1人で喋ってるみたいじゃねえか」
「口に出したって、結局僕らしか話さないじゃないですか」

僕とアキラさんの仲は何というか、一言で言えば「相容れない」ものでした。
アキラさんは「きのこかたけのこかの争いみたいな問題」とか言ってましたけど、
山菜が果たして何の争いになると言うんでしょうか。
高原さんがやたら納得していたのが理解出来ません。
とにかく、僕とアキラさんの間では、よく何かしらの争いがありました。
その間は大抵僕らが一方的に喋り続けるだけです。
高原さんもおぼろ丸さんもサンダウンさんも、
ましてポゴさんやキューブさんが何か言う訳もなく、僕らだけがひたすら熱くなります。

「だったら僕だって話す必要はないです。お1人でどうぞ」
「お前――」
「成る程」

それまでずっと黙って僕らのやり取りを眺めていたサンダウンさんが、急に口を開きました。

「……長男」

高原さんを指差します。

「次男」

今度はおぼろ丸さんを指差しました。

「そして、その弟」

僕らを指差しました。
物凄く関係ないことですが、サンダウンさんに指差されると妙に寒気がします。

「仲の悪い弟に頭を抱える兄2人」

サンダウンさんはふぅと白い煙を吐き出し、それだけ言い捨てました。
しばらくの間は時間が止まったようでした。足元のポゴさんだけが幸せそうです。

「ああ、だからおぼろ丸と高原の間にいつしか親近感が生まれて――ってアホか!
 何でオレが弟なんだよ。おぼろ丸より2つは年上だぞ!?」
「そっちに突っ込むのかよ」

アキラさんはあの無重力な髪の毛を逆立てる勢いでサンダウンさんに食ってかかりますが、
サンダウンさんは至極どうでも良さそうにまた煙草に意識を集中させました。
ぎゃあぎゃあ喚くアキラさんを見つめながら、高原さんが呟きます。

「……まぁ、実年齢はともかく中身は絶対おぼろ丸のが年寄りだよな」
「むぅ」

否定とも肯定ともとれない独特の唸り声をあげて、おぼろ丸さんは目を逸らしました。
高原さんの視線は死んでいて、そこに甘ったるいものは欠片もありませんでしたが、
というかそもそも誤解だったと証明されているので今更不安になる要素はないんですが、
それでもその目はお2人の間でだけ完結していて、僕はやっぱり苛立ったのでした。



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