雲に乗ったみたいなふわふわした気分を、俺はここのところずっと味わっている。
原因は解ってた。剣城が、あの剣城がやっと心を開いて、俺たちの仲間になってくれたからだ。
登下校中に会ったら一緒に歩いてくれるし、休み時間に会いにいっても怒らない。
そのぐらいには仲良くなれた。けれど、俺はその距離を見誤っていたのかもしれない。

「……剣城?」

切羽詰まったみたいな、苦しくて苦しくてもうどうすればいいのか解らないって顔で、
俺の顔の横に両手をついて壁際へと追い詰めてくる。

「ふざけんなよ」

言葉だけを聞けば怒ってるみたいだけど、表情と声色は全然違う。
焦ってるような縋るような声を出して、剣城はきれいな蜂蜜色の目で俺を見下ろしていた。

「今更認めねえからな」
「何が? ねえ剣城、わけ解んないよ。剣城」

俺が何を言ったって、剣城は聞いてくれない。ただ、苦しそうに俺を見ている。
何が起きてるのかわからないままの俺を置き去りにして、剣城は俺に顔を近付けてきた。
どうしてこんなことになったのか、って話は今日の朝まで遡る。



洗いざらい吐いてしまうと、俺は剣城が好きだった。生まれて初めての恋をしていた。
それこそ、自分にできることなら何でもやってアピールした。
ドリンクやタオルは極力俺から手渡してたし(特に反応なかったけど)、
スカートは一段多く巻いてちょっとだけ短くしたし(やっぱり未だに反応ないけど)、
こっそり優一さんに会いに行って剣城の話聞き出したり(凄い怒られたけど)、
いろいろ頑張ってみたけど、カッコの中に入れた通り結果は散々だった。
なんて言うかこう、仲間としての絆は確実に深まってるのに、
女の子としては見てもらえてないんじゃないかなって気持ちになる。
仲良くはなったよ。なったけどさ。そうじゃなくって、もっとこう何かないのかな。
少女漫画みたいな展開を期待してるわけじゃあなかったけど、
もう少しだけ甘い目線とか言葉とか、何かあってもいいんじゃないかな。
剣城と一番仲がいい女の子になれてるって自信はあるんだけど、全部友だち止まりだ。
片想いなのに期待する方が間違ってるのはわかってるけど、ちょっとくらいいいじゃん。
それとも何かな、まだ努力足りてないのかな。
そんな愚痴を秋姉にしたら、秋姉はくすくす笑ってた。

「笑い事じゃないよ秋姉、俺、本気で苦しんでるんだよ」
「ごめんね天馬。なんだかかわいいなって思って……だから、お弁当なんだ?」

くすくす笑いながら、秋姉はジャガイモの芽を包丁でくり抜いていく。
俺はと言えば、その横でフライパンを片手に黙々と玉子焼きを作っていた。
そう。こうなったらもう、餌で釣ってやろうって気分になった。
今日の練習にはいつもより多くお弁当を作って行って、剣城に食べさせる作戦だ。
女の子の手料理なんて、あのコミュニケーション不全の不良もどきが食べたことあるはずない。
東京に来て以来、料理は秋姉のお手伝いで日々特訓してきた。これでも結構自信がある。
……お弁当食べて貰えたら、嫌でも意識してくれるよね。ちょっとは進展するよね。
そんな期待を込めて愛情たっぷりに焼いた玉子焼きは、綺麗な焼き色が付いていた。
うん、ばっちりばっちり。これなら大丈夫テかな。
甘い方としょっぱい方、どっちが好きか解んなかったから、甘めに作ってみたけど、
もししょっぱい方が好きだったら、それはそれで次に繋がるきっかけにできるよね。

「なんとかなるさっ」
「急にどうしたの?」
「えへへ、何でもない!」

その時まで俺は、この後の展開を随分気楽に考えていた。



いざ練習に一区切りがついて、昼食の時間になると、俺は急に背筋が寒くなったのを感じた。

(やばいどうしようすっごい気まずい)

土日の練習のとき、剣城は基本的に俺たちと一緒にお弁当を食べてくれる。
……俺たちと一緒。信助と、葵と、狩屋と、一年生五人で集まって食べる。
剣城にこのお弁当渡したら、みんなの目の前で中身が同じお弁当を広げられるんだ。

(それ、すっごい恥ずかしくない?)

葵は俺が剣城を好きなの解ってるから、見たって何も言わないだろうけど。
でも、信助と狩屋に見られるのは滅茶苦茶恥ずかしい。
今までのパターンからいって、剣城はきっとお弁当くらいじゃノーリアクションだ。
でも、二人は違う。きっと俺の気持ちがバレちゃうんだろうって思う。
同じ部活の男の子に好きな人がバレるのはいくらなんでも恥ずかしすぎる。

(どうしようそこまで考えてなかった、っていうかそもそもこのお弁当受け取ってもらえるの?)

よく見たら、信助たちもう集まりだしてるし。
今からお弁当渡すの、すごい気まずいんだけど、これどうしたらいいんだろう。
鞄の中に鎮座する二つのお弁当箱を見つめて固まっていた俺を助けてくれたのは、
葵でもなんでもなくって、全く予想外の人物だった。

「天馬、昼食はどうしたんだ?」
「……キャプテンっ」
「弁当でも忘れたのか?」

ああ、俺が鞄の中見ながら固まってるから声かけてくれたのか。
さすがキャプテンだ、よく周りのこと見てるんだなあ。

「お、お弁当はあるんです」
「なら早く食べないと、時間が――」
「あ、その、作りすぎちゃって」

それは俺が朝一に秋姉と一緒に考えた言い訳だった。
剣城のために作ったの、なんて絶対言えないから、作りすぎたことにしようって。
鞄の中から、自分の分のお弁当ともうひとつ、小さなお弁当箱も一緒に出す。
キャプテンは黒飴みたいな透き通った目で、俺と小さな包みを交互に見る。
なにこれものすごい恥ずかしい。穴掘って埋まりたいんだけどどうしよう。

「天馬、それ……」
「せ、先輩方で食べてくれませんか!?」

俺は押し付けるみたいに、その包みをキャプテンに差し出した。
うん、無理。全然関係ないキャプテンにすら言い出しにくいことを剣城に言える訳がない。
言っちゃってから「あ、信助たちも食べていいよ」って付け足して葵に渡せばよかったなって、
そういう誤魔化し方もあったことに気付いたけど、もう言っちゃったしな。

「先輩方で……か」

キャプテンはなんかがっかりしてる。どこに落ち込む要素があったんだろう。

「あ、迷惑だったらいいです。葵と一緒に食べますから」
「いや、貰う。貰わせてくれ」

キャプテンは俺の手からお弁当箱を受け取ると、ふわりと笑った。

「天馬。これ、俺が一人で食べてもいいか?」
「供養してもらえるなら、誰がどう食べようと文句は言わないです」
「く、供養? ……まあいいか。ありがとう、天馬」

ごめんねお弁当箱。いつか俺にもうちょっとだけ勇気ができたらリベンジしてみせるからね。
やたら嬉しそうに見えるキャプテンの後ろ姿を見ながら、そんなことを考えていた。
自分が意外と意気地なしだったのと、妄想と現実のギャップを知ったのは、この瞬間だった。



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