組み敷いた体は小さかった。

「何の真似だ?」

光を失ったピジョンブラッドの眼差しが、ぼんやりと私を見つめている。
ただ見つめているだけ。そこに感情はなく、だからこそ宝石のように見えた。

「プラッカー」

問い掛けるような口振りとは裏腹に、腕は私の体へと伸びてくる。
闇を、憎しみを統べる王。
けれどその依り代はヒトの肉体だ。私やあの黒い獣の様な異形ではない。
この方の体は、腕は、私に比べればずっと小さかった。
あれほどの力を内包しているというのに、見た目は人間風情と何ら変わりない。

「貴方がそう望んだからです」

暗闇の中で、真紅の羽と瞳はよく映える。けれどその赤に触れる事は許されない。
あくまでも私はこの方の忠実な従者。望まれることのみを遂行するだけ。

「プラッカー」

呼ばれた名に呼応するように、伸びてきた腕に唇を落とす。
腕への口付けは欲望の印だと言ったのは誰だったろうか。
従者が示すには不相応な想いにも関わらず抵抗はない。
ただただあの虚ろな目で、私を見つめているだけ。


――やめろ
――やめて
――それ以上、そいつの闇を深くしないでくれ
――あのひとを離してあげて

脳に直接響く悲鳴にも似た男女の叫び声。かつてこの場に囚われていた亡霊の声。
この方が作られる世界には邪魔でしかなかったから、遠い異空間に押し込めたというのに。
届かぬ声を張り上げてまでして、何がしたいと言うのだろう。
そんな事をしたところで、この方を傷つけた償いが出来る訳でもないのに。
閉じ込めたあの場所は、どんな叫びもこの方の耳に届かぬようにと作ったのに。


「……プラッ、カー」

血にもよく似た赤が、懇願するように細められる。
か細い声に応えて腰を撫でれば、それだけで身を震わせた。

「全ては貴方の望むがままに」

私はこの方を守る。守って、この方が望む世界に作り変える。
自分勝手なあの亡霊どもとは違う。
私はただ、この方の為に存在しているのだ。



******



誰かに信じて欲しかった。
そう願って、私だけを信じる心を植え付けた。
私以外のあらゆる物を私という物差しでしか計らぬ心を。
誰かに守って欲しかった。
そう願って、私だけを守る力を与えた。
私以外のあらゆる物を消し飛ばす事の出来る力を。

けれど。
産み出したそれは私の望むままに動き、私の望むままに進む。
まるで人形遊びだった。とてもつまらない物だった。

だから、人形に「思考」する事を覚えさせた。
効率化だとか、ルーチンワークからの脱却だとか、人形同士の小競り合いだとか。
幾分かの面白さは確かに形になった。形になった、が。


「……オディオ様」
「来るな」
「オディオ様」
「寄るな、近付くな! ……私に触れるなと言っているだろうが!」

違う。私はこんな事を求めてはいない。
私に触れる腕も手も指先も、そんな物は何一つ要らない。欲しくないのだ。

「私の命が聞けぬ、と?」
「聞けません」
「は……」

人――いや、人形一倍我と力の強い異端物が、何を血迷ったか私に近付いてくる。
何をどう間違えてそうなったのだ。寧ろ何があった。

「それ以上私に近付くな。次元の果てに飛ばされたいか?」
「自力で帰還出来ます」

誰だ、こいつに空間操作能力まで付与した馬鹿は。
考えるまでもなく私か。こんな事だから馬鹿だとあの時から――
頭痛と吐き気と動悸がしてきた。思い出すのは止めよう。いや思い出すものか。

「お前まで私を裏切る気か」
「裏切ってなど。貴方を想うが故です」
「なら、分不相応な事は考えるな」

――鎧に魂を定着させる程度で留めていたのは正解だったかもしれない。
そう考えながら、私は溜め息を吐いた。
あともう数歩近付いたならば次元の隙間に引きこもろうと画策しながら。



******


「プロフェ」

呼び声に応えるように、黒い獣が奴の足元に鎮座する。
ごろごろと喉を慣らしながら足に擦り付く姿は、猫のそれに近い。
猫と呼ぶには鋭すぎる爪と牙、そして大きな体を持ってはいるが。
奴は暫くその巨大すぎる体躯を無表情で撫でていたが、
俺の視線に気付くなりその手を止めて此方に向き直った。

「何だ?」

黒い獣に対する愛想を100とすると、俺へのそれは18前後だな。
そして……『あれ』には更に輪を掛けて冷たい。

「いや、あれに比べて随分お優しいことだ……と」
「あれ?」
「ああ。あの人形に比べて、だ」

ピクリと、赤い羽根が揺れる。
何を指しているのか理解したのだろう。奴にただただ忠実な人形。奴こそが絶対の黒い鎧。
奴は無闇矢鱈とそれに冷たかった。

「プラッカーはその方が強い」

成る程、流石自分だけの人形だ。扱い方を良く理解している。
確かにあれは甘やかすよりも、極端に冷徹な扱いをする方が便利な道具だろう。
飴だろうが鞭だろうが、与えさえすれば操り人形は動く。此方に刃向かいもせずに。
それならば敢えて触れず焦らす方が、余程便利で扱い易い。

「ふん……わざと浮気して妬かせて楽しんでいる訳か」
「貴様を使って妬かせても構わないが?」
「それは遠慮しておこう」

鎧だけならまだしも、足元の獣までをも敵に回すつもりはない。
いつの間にやらグルル……とうなり声をあげていた獣を目にすると、
俺は出来ることは苦笑するか肩をすくめるかしか残っていなかった。



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