荒野には激しい風が吹きすさんでいた。
舞い上げられた砂埃が頬を打ち付け、びゅうびゅうと不安を煽る轟音が耳をつんざく。

「……その銃が、飾りでないのなら」

ざりざりと砂地を後退りする音に、銃を構えた重い金属音が重なった。
突きつけられた銃口の先からは、帽子の下から見える冷たい視線が向けられている。

「何時如何なる時も誇りを持って銃をとれ」

彼は言葉少なに語る。だが、その僅かな言葉の重みは酷く重たい。
その間にも、銃を向けた手はピクリとも動かさなかった。
銃を握るのも引き金を引くのも、迷いなどどこにもない。恐れるものすら何もないのだ。

「ひ……あ、あ……うわあああああ!」

吹き荒れる風の中、悲鳴が木霊する。



ぱち、ぱち、ぱち。
次に鳴ったのはまばらな拍手だった。
彼は目線だけを其方に向ける。其処には、見慣れた黒が立っていた。

「自分の首狙ったヤツを逃がしちまうなんて、相変わらず甘っちょろいな」

黒はニヤニヤと口角を上げながら彼と、逃げていく男を見据える。

先程の男は、彼を狙って闘いを挑んだ。ただしそれは誇り高き決闘ではない。
彼が肉弾戦に弱いと見て近接からの、それも不意打ちで勝負してきたのだ。
だが、男は無様にも負けてしまった。
とは言え、少し考えれば解った事だろう。
その程度の戦略で勝てる相手なら、とうの昔にお縄になっているに違いないというのに。

彼はぼんやりとした目を地平の彼方に投げたまま、何も言わずに息を深くついた。

「甘い、か」
「ああ。それも有り得ねえくらいの甘ったるさだぜ」

呆れにも似た声で言う黒に背を向けたまま、彼は小さく笑う。

「お前もだろう」

彼は無防備な背を晒している。されど、その背に弾丸が打ち込まれることはない。
打ち込まれないと知っているからこそ晒している訳でもあるのだが。

「馬鹿言うな。俺ぁただてめえの首が欲しいんじゃねえ。
 正面切って負かせてもいないのに金だけ貰って満足出来る訳がねえだろう?」

自信に満ち溢れた言葉に釣られるようにして振り返れば、
黒はあの得意気な笑みを浮かべてフンと鼻を鳴らす。

「ついでに、誰かの食いかけを漁る趣味もないんでね」
「……狂犬も、随分大人しくなったものだ」
「乞食と俺様を一緒にする気か?」

風が吹く。
二人の間の境界線をより一層際立てんとするかのように、激しく、冷たく。
きっと、この線を越えることはない。
越える日が来るとすれば、それはどちらかの死を契機とするものだろう。

「死ぬなよ、俺様が捕まえるその日まで」
「ああ、そんな日が訪れるのならな」

互いに背を向け、巻き起こる砂煙の中へ消えていく。
止まない風のせいで、足音すら届かなかった。



******



不意に見た青年の背中が思っていた以上に傷だらけだったので、
サンダウンは思わずかけようとしていた言葉を飲み込んだ。

「なンだよ? お前にゃ悪いがグラマーな女以外からの熱っぽい視線は遠慮してんだ」
「……いや」

視線を逸らす。別に傷口から目を背けた訳ではない。
傷なら自分の方がずっともっと深く負ってしまっている。
ただ、自分以外には負けない彼がどうしてここまで傷を負っているのか不思議に思っただけだ。

「潜って来た死線は同じか」
「あぁ?」
「傷の話だ」

傷。その単語で漸く納得がいったらしいマッドは、クッと小さく笑んで自分の肌を眺めた。

「傷なんざ、勲章みてえなもんだろ」

自分だって彼だって、無傷で勝ち続けてきた訳ではない。
今だって無傷では済まないような戦いへ向かう最中なのだ。
違うとすれば、自分と彼の間にある傷に対する意識の違いくらいだ。

「確かに、ヘマやった結果の傷もあるっちゃあるけどよ……」

マッドの指先が肌を滑り、二の腕に深く刻まれた線を辿る。

「お前に付けられたこの傷になら、美女のキスマークと同じくらいの価値付けてやっていいぜ?」

マッドはそう言うと、本人すらいつ付けたか知らない傷に唇を落とす。
下らない事を……と思いながらも、サンダウンは特にその言葉を遮らなかった。
今はそんな事よりも、次に訪れる脅威の方が問題だったからだ。



******


あの一件以来、マッドとサンダウンの距離は飛躍的に縮まった。
もともと、お互いの性根は嫌いではないのだ。側にいることに異存はなかった。
おまけに、それぞれが鬼神のように強い。
ほんの少し消息を絶っている間に、サンダウンの銃の腕は他の追随を許さぬほどになっていた。
そのサンダウンと毎日のように銃撃戦を繰り返している間に、マッドもまた人間の限界を超えた。
結果、二人揃えば辺り一面を焦土に変えてしまう魔人が産まれてしまったのだった。
今二人、もしくはどちらか片方に手を出そうとするのは、余程の命知らずか田舎者かの二択だ。
田舎者には二度と変な気を起こさないよう躾るが、命知らずには相応の報いを与える。
そうやって、二人でいることが多くなった。

(キッドが俺のそばに居るのは、俺を認めているからだ)

マッドは黒曜の目を静かに輝かせながらそう考えている。

(俺はいつかキッドを殺す。キッドもそれを知っている。だから俺を拒まないし殺さない)

薄汚れたポンチョ姿を目の端に入れながらも、マッドは銃に手をかけたりはしない。
まだ殺せないからだ。情の問題ではなく、力量が伴わない。
けれどそう遠くない日に、きっと自分はサンダウンを殺せるようになるのだろうと思う。

(俺たちの関係が終わるのは、俺が死ぬかキッドが死んだときのどちらかだ。
 でも、キッドは俺を殺さない。殺せない、のかもしれねえが)

口には出さないものの、あれは自分を高く買ってくれている。
だから、いつもいつも殺してはくれない。
サンダウンが自分を見限らない間はずっとそうしていくのだろう。

(ってことは、キッドに殺されたかったらゲスになりきればいいんだな)

その展開を少しだけ考えてから、すぐに目を伏せた。そうなる自分が想像できなかった。
なにも知らない女子供を売り飛ばす。無抵抗の一般人をなぶり殺す。どれも性に合わない。

(まぁいい。どっちみち、終わりの引き金を引くのは俺なんだ)

どうせ他の誰も、もう自分たちの間には割って入れないのだから。
そうやってクッと小さく喉を鳴らしたマッドは、まだ気付いていない。
いつか来るその日に、自分がサンダウンを殺さない可能性を。
サンダウンがマッドを自分の心臓を打ち抜いてほしいと願うように、
マッドだって自分の首を落とすのはサンダウンだけと思っていることを。



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