その日、あいつはいつもに増して不機嫌だった。

「死ね」

開幕5秒で死刑宣告をされたのは初めての事だ。
というか、俺は既に死んでいる。

「……何があった?」

死ね死ね死ねと壊れた人形のように繰り返す幼馴染み兼魔王の頭を撫でてやると、
先程までナイフのように鋭く輝いていたビジョンブラッドの目が、涙で滲んだ。

「ストレイボウ」

幼馴染み兼魔王の表情は儚げだった。
こいつが魔王だと思ったことはあったようななかったような、とりあえず記憶に薄いが、
いつにも増して今日のオルステッドが纏う気配が弱々しい。まるでただの女だ。
本当に何があった。食中毒か。確かに中毒になるような物しか食べていないだろうが。
とにかく、こいつは涙で潤んだ真紅の瞳で俺を見上げ、呟いた。

「私、人間の子供なんて産みたくない」

――過程を全てすっ飛ばした発言に、目眩がした。


「……何があった」
「私は嫌だって言ったんだ。なのにあいつ、私、嫌だって言ったのに、無理矢理」
「いや言わなくていい。言わなくていいから、頼むから俺の何かを壊す発言はしないでくれ」

無理矢理どうしたんだと聞き返したい気もするのだが、
もう死んでるのにまたショック死するぐらいの衝撃を受けてしまいそうだから止めておいた。
ともかく、唯でさえ世界に絶望している幼馴染みはさらに悲観的になっている。
魔王がどうたらなんて知った事か。今俺を突き動かしているのは、幼い頃からの習慣だけだ。

「安心しろ、オルステッド」
「……オディオ様」

血のように赤い目が、恨みがましそうに俺を見上げている。

「俺からすればお前は自分で何と言ってようとオルステッドだ。とにかく落ち着け。
 大丈夫だ、手を繋ごうとキスしようと一晩一緒に寝ようとガキなんて出来ないから。
 ましてコウノトリは人間の赤子なんて運びやしないしキャベツ畑からも生えない」
「その程度の事を知らん訳があるか! お前の中の私は年齢一桁で止まっているのか!?」

なんだ、知ってたのか。
蹴り飛ばしてきそうな勢いのオルステッドを宥め賺し、ほっと息をつく。
そして冷静になると、改めて見えた事実に俺は絶句した。
正しいプロセスを理解しているのだとこいつは言う。その上で騒いでいる。
つまり、その……何だ。

「……おい、ちょっと待て。子供?」

誰の。誰と。いつ。
俺に覚えはない。そんな甘い思い出なんて持ち合わせていない。
要するに、いや要したくないんだが、まさかそんな、だってこいつは……

「わ、私は抵抗したからな? あいつが悪いんだ。全部あいつのせいなんだ。
 人酔いとプラッカーの留守が重なってる時に、人の足だの尻だのを」
「やめろ、頼むからそれ以上喋るな! 俺の大切な何かまで壊さないでくれ!!」

オルステッドは青ざめていたが、俺は青を通り越して白になりそうな気分だ。
鮮血色の瞳を見開いてかたかたと震えている幼馴染みの肩に手を伸ばし、掴む。
そして、前後にひたすらシェイクした。

「夢だ。全部夢だ。お前が体験したことは全部夢なんだよ!」
「……痛かったら夢じゃないんだろ?」
「あああああむしろ俺が夢見てたと信じたいわこの野郎!」

突き飛ばす勢いでオルステッドを振り払い、がくりとその場で膝を付く。
小さな頃からずっと一緒に居た幼馴染みに何かの階段を一つ飛ばしで駆け上がられると、
人は凄まじい絶望感と虚脱感に襲われる事態に陥るらしい。

「ストレイボウ」
「……何だ」
「私はどうすればいいんだ。かっ捌けばいいのか?」

オルステッドの左手が黒く染まる。いつの間にか生えた鱗が、肌を覆い尽くしている。
すっかり異形へと姿を変えた左手には、鈍く光る巨大な爪が――

「……そうだ。そうだった、お前人間じゃないんだよな!」
「え」

腹に添えられた左手を引き寄せる。それは明らかに人間のものとは言えない異形の手だ。
こいつは人間じゃない。自称魔王で、その半分は夜よりも深い闇を統べる黒竜だ。

「お前は魔王なんだろう? ついでに竜に取り憑かれ――いや取り込んでるんだ。
 人間じゃないなら、人間のガキなんて孕みようがない。ないよな。ないと言ってくれ」
「私に言うな、私がそれを知りたいんだから」
「いいから、俺を信じろ!」

オルステッドは何も言わない。濁ったピジョンブラッドの目で俺を見据えるだけだ。

「……人間を?」

唇はそれだけを呟いて、強張る。
ああ、確かに今のお前は人間はおろか俺すら信じちゃいないのかもしれない。
でも非常事態に俺のところに来て八つ当たりするって事は、
要するにそういう事なんじゃないのか。どういう事かは黙秘したいが。
とにかく、引き寄せたままの黒い腕をより強く強く握り締める。
オルステッドは本気で嫌そうな顔をしていたが、見なかったことにした。

「人間じゃない、俺だ。俺を信じろ。お前が信じるのは俺だけでいいんだ。
 今も昔も、これからずっと、俺だけを」

まるで戯曲の主人公か、御伽噺の英雄が言うような言葉だ。
本当は俺に言う資格なんてないのかもしれない。
だって俺は、こいつが心から絶望しきってしまった時に何もできなかった。
人の闇に触れ、黒に染まった瞬間に、光の差す方へ引っ張ってやる事ができなかった。
オルステッドはやっぱり何も言おうとしない。真紅の目を伏せたまま、押し黙る。
それでも、手を振り払おうとはしないでいてくれた。

「……ストレイボウ」

濡れたルビーが俺を捉える。

「ストレイボウ」

何かを紡ごうと必死になる幼馴染みの左手を撫でてやる。
鱗が手のひらに引っかかって傷になった気もするが、もう死んでるんだから知った事か。
醜い竜の姿に変わっても、目が若草とは正反対の深紅に染まっても、
肩だの腰だのから目と揃いの赤い羽が生えてても、世界の全てを呪ってても、
こいつは俺の妹で、幼馴染みで、親友で――大切な女の子、なんだから。
オルステッドが安心できるように、全てを吐き出せるように、左手を暖めてやった。
今にも泣き出しそうな幼馴染みは、俺をじっと見つめている。
俺は何も言わなかった。口を閉ざしてオルステッドの言葉を待った。

「私、私は……」

オルステッドは俺の手を振り払うとぎゅっと目を閉じ、

「何だ、邪魔したか?」
「――死ね! 貴様が死ねば全てが纏まるんだ! 死ね!!」

背後から現れた人影を罵倒しながら黒い無数の魔力球を打ち出し始めた。

「は」

瞬間で移り変わった空気に対応出来ず、俺は口をぽかんと開く。
オルステッドは涙目だ。半泣きのまま最早弾幕と化した魔力を放出している。
ところで人影が全くもってその弾に掠りもしないんだが、あれは人間で合っているのだろうか。

「オディオ様、少し落ち着かれては――聞こえませんよね。ええ」

俺の背後から、巨大な鎧がひょこりと姿を現す。声からして疲れきっているのがよく解った。

「……本当に何があったんだ、アレ」
「飼い犬に噛まれたとでも言いますか食われたと言いますか」
「食うとか言うなよ」
「他に言い様がないでしょう」

現保護者というか召使いというか、とにかくそんな立ち位置の鎧は、
がくりと肩を落としたまま小さく首を振る。

「私だって泣きたいし殺してやりたいんですが、生憎駒が足りなくなってしまう。
 最早壊れた歯車でも騙し騙し使っていくしか道がない」

壊れた歯車(仮)は、弾の隙間をかいくぐってはオルステッドに何かを言っている。
そしてその言葉を耳にした瞬間に、弾に乗せられた殺意がより深く、重くなる。
そんな光景を遠目で見ながら、俺は行き場のなくなった手を宙にさまよわせていた。

「……俺以外に期待なんかしたからそうなったんだ、馬鹿」

俺はそしてまた、今日何度目か解らない溜め息をついた。





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