――俺は何の夢を見ているのだろうか。

「いいなぁ、ストレイボウ。男の人なのにこんなに綺麗な髪で……」

親しげに俺の髪に触れるこの女は誰だ。
パーソナルスペースを気にせずべたべたとくっ付いてくる女は誰だ。
いや、知っている。この女の正体には心当たりがある。
だが、とにかく俺はその答えを否定したかった。

「髪だけじゃないか。私なんて魔術も学問もさっぱりだし、家事だって壊滅的で……
 誇れるのは剣の腕だけだもん。あーあ、何で私は女に産まれてしまったんだろうな」
「おい、オルステッド」

しまった、反射的に声を掛けてしまった。
あいつが何かネガティブな事を言ったらとりあえず割り込み、全力で話を逸らす。
幼い頃からの常であり癖だった。それが悪い方向に働いた。

「なに?」

ああ、さらに返事をされてしまった。
最悪だ。この可能性だけは信じたくなかったのに。
しかし、否定しようがなかった。金の髪もペリドットの目も、全てあいつのままなのだ。
声変わりを済ます前より少し高いくらいの声と俺より一回りほど小さな体を除けば、
いや除いた所でこいつは完璧なまでにオルステッドだった。

「……その」
「?」

無邪気な目が俺を覗き込んでいる。
もともと童顔だったが、女の体は余計あいつを幼く見せた。
2つ3つ年下だと言われたら、信じてしまいそうだ。
夢だと解っているのに、いや、解っているからこそ認められない。
紅潮していく頬と、緊張で凍り付いていく思考回路を。

「あーあ、私も何か料理の練習しなきゃ駄目かなぁ」
「……え?」
「私は結局女だからね。国で一番強くなったって騎士にはなれないみたいだし。
 やっぱり家庭に入るしかないのかなぁって思ってさ」

オルステッドは遠くを見つめている。空を見上げて、切なげな目をして微笑む。

「ストレイボウが羨ましい。男の人、なんだもん」

ふっと笑う。
その笑みがどうにも切なくて、見たことのない女の顔で、
その顔で俺をじっと見つめるから、俺は何も言えなくなってしまった。

「……いつかは宮廷魔術師とかになっちゃって、それこそお姫様みたいな人と結婚するのかな」

やだな、と。
その口が呟いた、気がした。




「――違う」
「へ」
「違う、これは……」

夢じゃない。だが、夢じゃないと言うならこれは何なんだ。
あまりに都合のいい世界。本当であるはずがない。
突如唸り始めた俺に、オルステッドは小さく首を傾げている。

「ストレイボウ?」
「すまない、今はそれどころじゃ――」
「気に入らなかったの?」
「は?」

気に入る?
何を?
思考が追い付くよりも早く、風景が歪み始めた。
周囲の光が次々にはぎ取られて、裂け目から闇が溢れていく。
闇は最後にオルステッドすらも包んでしまった。
その代わりに、黒に埋め尽くされた世界に現れた深紅の塊。
塊が蠢く。
花びらが開花するように、大きく広がる。
その中心に居たのは、先ほどまで目の前にいた女とよく似た男だった。

「……こういうのが好みだと思ったけど。違ったんだ?」
「オルステッド」
「もう、何回言えば解るの? オディオ様、だよ。はい、言ってみて」

無邪気な笑顔。そんなの形だけだ。裏側に、底知れぬ闇を抱えたままの癖に。

「今度は逆で行こうか?」
「やめてくれ、これ以上――」
「ふふ……でも、今日はもうおしまい。飽きちゃったし」

黒が少しずつ染み込んでいく。男の姿すら歪む。黒に溶け出していく。

「私で下世話な想像をされるのは不愉快だ」

過程で化けの皮すら溶けたのか、そう呟いた顔は酷く冷たい魔王のものだった。
本当の表情。オルステッドの本意。それが、あの冷たさ。
闇の中にあいつの姿が完全に沈むのを見届け、俺は唇を噛んだ。
そして、一人思うのだ。

「……これでお前の気が済むなら、いくらでも受け入れるさ」

例え虚構の、更に性別すらも違っていたが、
久しぶりにオルステッドの「オルステッドとして」の笑顔が見れたのは、
俺を見つめるあの視線には、それなりに幸せを感じた気がした、とも。







 

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