「あ、あのさ瞬木。なんか顔、近くない?」
「そうかな」

ずりずりと後方へ引いていく天馬を壁際に追い詰めながら、瞬木は口元を綻ばせる。
動揺で表情を硬くしたままのまろい頬へ手を伸ばせば、天馬は大袈裟に肩を震わせた。
今までにないリアクションが新鮮で、思わずくつくつと喉が鳴る。

「俺がこうしたいんだよ」
「え、ええと……」

天馬はあからさまに目を反らして、頬を朱に染めていた。
どんな自分だって文句はないと、全部ひっくるめて俺の仲間だ――と言った割に、
ほんの少し素直に近づいただけで照れて逃げようとする。
我らがキャプテン様の初心さには苦笑するしかないが、
それを今から自分の思うように汚せるのだと思うと、次の手がすぐに出てしまう。
もう逃げ場などなくなってしまった天馬の肩をとんと押して、ベッドの上に押し倒してやると、
面白いぐらいに緊張した様子で天馬は身を強張らせて、おずおずと視線を合わせてきた。

「ま、瞬木。やっぱり今日のお前、なんか変じゃ」
「逆だって」

押しのけようとして伸びてくる手を絡め取って、指先を結んでベッドに縫いとめる。
ここまで近づいたのは初めてだからだろうか。
こうして二人で時間を過ごすのは初めてのことではないのに、
天馬はあちこちへ視線を飛ばしてこの雰囲気から逃げ出したそうにしている。
噴出しそうになるぐらいに愉快な光景だったが、そうすれば折角のムードが霧散してしまう。
そんなことはさせない。不意に自分の方を見た瞬間を逃すことなく、
瞬木は今まで見せたことのないぐらいに真摯な顔を作って、天馬をじっと見据えた。

「今までの俺が馬鹿だったんだ。お前のこと、軽く扱いすぎてた」
「……え」
「だから、罪滅ぼし――なんて言ったら軽すぎるけど。
 今日は今までの分を全部飛ばしてやれるように、優しくしてあげる」
「え、え、えええ」

あまりストレートに行くのには慣れていないらしい。
今までが屈折しすぎていたのだろう。それは反省するとして、大切なのはこの後だ。
動揺している隙をつき、馬乗りになって両手の指を解く。
ジッパーに手をかけ、ちりちりと音を立てながらゆっくりとジャージを引き下ろしていくと、
慌てた様子の天馬がわたわたと手を重ねてきた。

「ま、瞬木! なに、何を」
「処女じゃないんだから、そういうリアクションしなくていいよ。もう今さらだろ」

こうなると解っていたなら、今夜を初めてにしてやりたかったような気もするが。
少しだけ目と心が冷えたような感覚に浸りながら、抵抗をものともせずに服を剥いでいく。
運動部所属の中学生男子らしい骨っぽい体には、女性的な膨らみや柔らかさはあまり無い。
あえてあるとするなら、それは子供らしさを残した丸みだ。

(俺とそう変わりないのに、見たって面白くもなんともないのに……な)

凹凸も何もない体には以前なら欲情も何も感じることはなかったはずだが、
どうしてだか今日は天馬のすべてをさらけ出させたくて仕方なかった。

「ま、待てってば、ほんとに、ちょっと、タンマっ」
「はいはい、暴れない暴れない。優しくしてやるからさ。
 ああ……それとも、キャプテンはひっどい目に遭わされる方が燃えるの?」
「瞬木!」

歯を食いしばって怒りを表明する天馬があまりに必死で滑稽で、
ついに耐え切れず、体を丸めて噴き出してしまう。
笑うならそこをどけろだの何だのと天馬が叫んでいるのは軽く適当に聞き流し、
重力に従って天馬の肩口に顔を埋めて、その体を抱きしめる。
びくん、と震えた天馬は、まだ瞬木を抱き返そうとはしない。それでも良かった。

「ごめん。俺多分、好きな子はからかってやりたいんだ」
「……友達なくすぞ、お前」

好きな子がイコール自分のことだとは咀嚼できていないのだろう。
天馬は呆れと引きが半々ぐらいの冷めた声で相槌を打つ。
手が自由だったなら「お前の話をしてるんだよ」と言いながら鼻を摘まんでやるところだが、
今は最重要任務・キャプテンをぎゅっと抱きしめる作戦が敢行中だ。
それは流石に中断できない。だから、背中に回してやった手は離さないままにする。

「いいよ。これぐらいでなくなるような繋がりなら俺の方から捨ててやるさ」
「瞬木……」
「だって、キャプテンはこういう俺でもいいって言ったじゃん。
 この瞬木隼人でも良いって言う馬鹿が一人居てくれただけで、俺は十分なんだ」

恥ずかしいことを言っている自覚はあったが、溢れた言葉は止められなかった。
受け止めてくれる何かを得たことに、無意識で浮かれていたのかもしれない。
なんにせよ、これが本心なのだから誰に止められるようなものでもないはずだ。
腕の中に納まった天馬の熱を堪能しようと頬を寄せてやれば、
天馬は恐る恐るそれに応え、瞬木の背に両の手を回してきた。

「……あはは、キャプテン積極的」
「どっちがだよ、もう」

人によく慣れた犬猫がするように、天馬は瞬木の肩口へ顔を埋めてくる。
以前こうして甘えられたときは、どう流せばいいのかが解らなかった。
今は、受け止めてやりたいと思う。抱きしめ返してくれる腕が、その温かさが単純に嬉しい。
サザナーラ人のように人の心が読める人種だったなら、今の自分の心は相当愉快に見えるだろう。
以前の自分が瘴気にまみれた荒野の中にいたとするなら、
今の心象風景は黄色やピンクの無意味に華やかな花々が咲き乱れる電波お花畑だ。
思い切り笑い飛ばしたくてむずむず疼く表情筋を抑え込んで、瞬木は瞳を閉じた。

「キャプテン。キスしてみない」
「……それこそ、今更じゃないのか」
「一応許可取ってやったんだよ。優しくするって言っただろ」

天馬の顔のすぐ横に手をついて、視線を合わせる。
雰囲気によってぽうっと頬を染める仕草はいっそあざとさすら覚えてしまうが、
どうしようもなく愛しく思えてしまうのだからタチが悪い。

「ほらキャプテン。目、閉じてよ」
「…………」

天馬は顎を軽く上げて、口付けやすいようにしてから瞳を閉じた。
言われるがままの、従順な素振りもまた愛しい。
傾いた世界に、ただ一つまっすぐに突き刺さったイレギュラー。
訳も解らないうちに全身を貫かれた、清らかで鮮やかで泣きそうになるぐらい高潔な光。

(ああ、好きだ。大好きだよキャプテン、俺は君が好きだ。大好きなんだ!)

今視界に入っているのは天馬とベッドシーツぐらいしかないというのに、
それらはお台場から見た夜景よりも美しく煌めいている。
ああ、世界はこんなにも輝かしいものなのか。
斜めになっていたはずの世界観が、今は不思議とまっすぐに見えた。 
息苦しいのも苛立ちも、何もかもが一つにまとまって自分の中に溶けていく。
ひたすら走り続けた後に広がっていくあの充足感とよく似た、頭が痺れるほどの快感。

(もう、離してなんかやらないよ)

泣き出しそうになってしまったことになんて、目を閉じてしまった天馬は気づかない。
唇を合わせた瞬間に、心は白に溶けた。



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