「松風天馬さん、神童拓人さん、どうして私たちがこんなに怒ってるのかは理解できますかぁ?」

少女の笑顔と声色は酷く甘いのに、寒気しか感じ取れないのは何故なのだろうか。
この少女の裏の面を知っているからなのか、自分たちに後ろぐらいところがあるからなのか。
今の天馬と神童の思考は止まりかけていて、原因が果たしてどちらなのかが計りかねていた。

「悪いことをした意識はあるみたいですね。良かったぁ、そこまでのお馬鹿さんじゃなくって」

少女――ルートエージェント・ベータは腕を組んだまま、正座する二人を見下ろして微笑む。
それからとんとんとつま先で足を鳴らして、愛らしい声のまま囁いた。

「あのー、未来の世界の人類からの切実なお願いなんですけど。
 引き抜いた後の偉人の始末はちゃんとしていただけませんか?
 タイムルートに影響出まくりで修正に忙しくて、私たち慢性的な睡眠不足なんです」

いっそ荒々しい方の人格で怒ってくれた方がまだ心臓に優しいだろう。
ああ、やっぱりそこか……と、新旧キャプテンは顔面を蒼白にした。



鬼道曰く「超次元トーナメント」、ワンダバ曰く「エクストラ大戦ルート」なる、
パラレルストーンが生んだ新たなサッカーバトルに挑むようになってからは、
かつてのライバルたちだけではなく、各時代の偉人たちまでもがキャラバンに加わった。
今や「時空最強の十一人」は日替わりでメンバーが入れ替わる始末で、
和気藹々とトーナメント潰しに励む日々が続いていた。

そこで問題になったのが、引き抜いた後の過去世界の人間たちが、
現代や未来都市・セントエルダの生活に慣れ始めていることだった。

「ああ、やっぱりベータからお達しがあったんだ」

胃痛に悶えているアルファを介抱しながら、フェイと黄名子は困ったように微笑んだ。
メンバーが一気に増えたこともそうだが、親子団欒を楽しみたいのもあるのだろう。
葵たちマネージャー陣がフィールドに立つようになったことも重なって、
最近のフェイと黄名子は怪我人の世話や書記などの事務職を引き受けていた。
余談だが、父親は全くこの輪に入り込めていない。

「やっぱり……って、フェイはこの話聞いてたの?」
「うん、アルファが譫言で何か言ってたよ」

今もぐったりとしているアルファの毛布を直しながら、フェイは困ったように笑う。
チームA5の面々は比較的元気らしく、入れ替わり立ち替わり彼の見舞いに来ているようだが、
そのせいでいまいち休めないでいるのか、アルファの顔色は白と紫との境界をさまよっていた。
今、ここに天馬と神童がいることを認識できているかどうかすら怪しいものだ。

「こんな状況だから、暫く試合は無理そうやんね……」
「これは……まぁ、そうだろうな……」
「……うわぁ」

疲労と過労とストレスに打ち震えているらしい彼の姿からは、中間管理職の悲哀が滲んでいる。
アルファが抱える過労の原因は自分たちにあるので、天馬たちはどうにも息苦しくなった。

「とはいえ、もうオーラだけ引っこ抜いて元の時代に置いていくのは不可能だしね。
 沖田さんを引き抜いたときに理解したとは思うけど」
「まさか写真撮って話聞いただけで二度と離れてくれなくなるとは思わなかったよ」

フェイの言葉で当時を思い出した神童の目が濁る。
偉人たちの中で最初に力を貸してくれたのは、沖田総司そのひとだった。
彼は興味のありそうな話のネタと屯所の紅葉の写真程度で軽くチームに入ってくれたのだが、
その軽さとは裏腹に二度とチームから追い出すことができなくなった。
それ以降、諸葛・孔明やらアーサー王やらを引き抜いてみた結果、
案の定偉人たちはキャラバンから降りようとしてくれない。

「だけど藤吉郎さんとか、関羽さんとか、シャルル王子とかは出入り自由やんね?」
「冷静に考えると今のTMキャラバンに居る人材は色々狂ってるよね」

フェイは淡々と暴言を吐いた。事実だが、あまりに率直すぎる。

「何にせよ、問題を早く解決したいならこのエクストラ対戦ルートとやらを戦い抜くしかないな」
「個別に言っても聞かないからね。特に坂本さんと孔明さん」

殺意に満ちあふれたトラップハウスを建造した上に何故か外来語も堪能であった孔明は、
この時代の発達したテクノロジーやメタ知識の収集に余念がなく、
もともと海外文化への意識が高かった坂本は興味の赴くがままに時代の流れを謳歌している。
フリーダムに理想を追求する偉人たちに対しては白竜も雨宮も錦も抑止力にならず、
寧ろ彼らの足として良いように使われている節すらあった。
未来人たちの疲労と過労とストレスの原因の七割はこの二人が得た知識の放棄工作であり、
残り三割は天然で現代の女子中学生に馴染んでいくジャンヌの方向転換である。

「……私のことを思うなら」

ふと、下の方からか細い声が届いた。
それは打ち捨てられたぼろきれのような様相で震えていたアルファが発した声だった。

「一刻も早く、このトーナメントを、制覇……し、ろ」
「ああ、アルファはもう喋っちゃだめやんね!」
「そうだよ、君はゆっくり寝ていて」

アルファを死にかけの敗戦兵か何かだと扱っているらしい親子の看護は手厚いが心が痛い。
神童と天馬は、セミオートで虹彩のRGB値が低くなっていくのを感じながら、
混濁する寸前の虚ろな視線を通わせてこくりと小さく頷いた。

「天馬、頑張ろう……どうにかしてこのトーナメントを突破しよう」
「そうですね……」

でないとキャラバンから死傷者が出る、とは言わなかった。
いや、言えなかった。現実味を帯びすぎていて口に出すことが憚られていた。

「おい神童、ここに居たのかよ」

黄名子すら表情を暗くしている輪の中へ、ふっと大きな影が差す。
一同が顔を上げれば、そこには天馬と神童にとってのみ馴染みのある人物が立っていた。
馴染み、と言うよりは因縁、の方が正しいだろうか?
鮮やかなマゼンダの長髪を靡かせた、浅黒い肌の少年。名を、千宮路・大和という。
ホーリーロードの決勝戦において、聖堂山中を押しのけて雷門と対峙したチームのキャプテンだ。
今となっては、TMキャラバンを温める控えゴールキーパーAに過ぎないのだが。

「千宮路さんっ」
「せんぐうじ……うーん、やっぱりどっかで聞き覚えがあるんだよな、君の名前。
 何なんだろう、特に僕との接点はなかったと思うんだけど」

首を傾げるフェイをにこにこと頬笑みを張り付けた黄名子は、
「貴方のお父さんが援助していた相手の息子やんね」という一言を飲み込んでいる。
父親の話をされることをあまり好んでいない思春期の子供に対する対応を、
黄名子は若干十四歳にして学んでしまっていた。
ゴッドエデンへ旅立つ前に豪炎寺から経緯を説明されていたこと事態忘れている天馬や、
親子のいざこざに全く気付いていない神童は、二人には構わずに大和へ注意を向ける。

「ああ、千宮路か……もうそんな時間だったか?」
「何か約束してたんですか? 珍しい取り合わせですね」

首を傾げる天馬に、神童は曖昧な笑みを浮かべて小さく頷く。

「俺たちが――と言うよりは、俺たちの親が、なんだけどな。
 今晩、うちと千宮路の家とで食事会があるんだ」
「……はあ」

何だか、今晩を境に日本の経済界が大きく動きそうな予感がした。
金持ち同士の話し合いなのだ、庶民たる自分が関われる内容ではないのだろう。
それだけは察することができた天馬は、引き攣った笑みを浮かべて枯れた返事をした。
そんな天馬の様子に、大和は怪訝な顔をする。

「何だ、お前も来るか?」
「はい!?」
「えっ」

あまりに唐突過ぎる問いに、天馬は驚愕しながら、神童はきょとんとして声を上げた。
予想外過ぎる投球に、思わず二人とも会話のキャッチボールを放棄する。

「キャプテン、行ってきちゃえば? なかなかあることじゃないやんね」
「えええええ、行かないって言うか行けないよ!? これお金持ちの集いだろ!」
「まあ、歴史が動く会話ぐらいは起きそうだよね。天馬、行ってきなよ」
「行かないよ!!」

他人事として楽しんでいる黄名子とフェイに必死に反抗する天馬を見つつ、
大和はふうっと重い溜め息をついた。

「来ねえのか。神童も親父もお前が居る方がテンション上がるだろうにな」
「千宮路!? お、お前、何変なことを言って、俺と天馬はただの先輩後輩であってだな!?」

思いの丈を唐突に暴かれた神童は自分の心象評価を取り繕うのに必死で、
「親父も」と大和が口にしていたことには気付いていない。
大和は顔を赤くして掴みかかってきた神童を鬱陶しそうに振り払いつつ、
何でもないことのようにさらりと口を開いた。

「あと、あいつも呼べねえってことだな。アーサー王」
「はい?」

何故ここでアーサー王の名前が出てくるのか、天馬と黄名子は理解できないでいた。
解ってしまった神童はアルファの寝姿を一瞬見てから表情を朱から蒼白に塗り替え、
その表情の変化でフェイは何かを察してしまった。

「せ、千宮路、その話は今これ以上ここでは」
「折角今日は親父たちと一緒に織田信長が――」

死体のようにぐったりと力を抜いて倒れ伏していたアルファの肩が、この瞬間、ぴくりと跳ねた。
それよりも早く、神童の右足が動く。

「ああああああああっ、刹那ブースト!!」
「は? って、うおおおおっ!?」

本来はストップモーションから入るはずの技だが、今日この時は違った。
前振りも何もなく、唐突に背後に回った神童の右足が盛大に大和の背中を蹴り飛ばし、
縮地さながらに落下地点へ先回りして二発目を蹴り込む。
何の予告もなかった突然の奇襲に対応できずにいる大和の体は、
突き飛ばされるがまま宙に勢いよく打ちあげられてしまう。
最後に、回し蹴りの要領で勢いを付けた強烈なキックが叩きこまれて、
大和の大きな図体は二、三度バウンドして地面を転がって行った。
この空間に、死体が一つ増えた瞬間だった。

「あ、危なかった……」
「今一番危なかったのは神童くんだけどね?」

固まっている黄名子と天馬を尻目に、フェイの眼差しは冷たい。
神童は顔面蒼白の表情で勢いよく手を振る。

「違う、違うんだ。俺たちは決して今日の食事会に信長様を招いてなんていないんだ。
 別に千宮路の親父さんと信長様が意気投合してるとか、うちの父さんも乗り気だったとか、
 もしかすると霧野がジャンヌさんを連れて来てくれるかもしれないだとか、
 決して俺たちの間にそう言ったやりとりはなかったんだ!!」
「はい、先輩が嘘を付けない人なんだってことだけは良く解りました……」
「……神、童拓人、を、消去、す、る……」
「あーもう、だからアルファは起きあがっちゃだめやんねー!!」

亡者さながらの様相で立ちあがろうとするアルファを必死で抑えている母の姿と、
悪意がなかった故に打ち捨てられた哀れな死体を眺めながら、
フェイは無機質なエメラルドグリーンの瞳を伏せる。

「天馬、早いところトーナメントをどうにかしないと、本当に歴史が動いちゃうと思うよ」
「うん……うん……」

今にも泣きだしそうになっている天馬は、この後はトーナメントを埋めるのではなく、
まずトウドウの元へ謝罪に行くことから始めようと考えていた。



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