セカンドステージ・チルドレンは、この世界から一人もいなくなった。
私たちが必死で作ろうとした楽園は、注射針にぷすりと刺されて弾けてしぼんでしまった。
別に、SARUがそうするって決めたことを恨んでいる訳じゃない。
私たちは自分の弱さを認めて、別に私たちだけが優れてる訳じゃないって認めて、
ちゃんと「人間」になれたんだから。
ただひとつだけ怖いことと言えば。
私とギリスを繋ぐためのピースが、音もなく崩れて風に流れてしまったことだけ。



私たちがセカンドステージ・チルドレンじゃなくなって一番変わったことと言えば、
セントエルダの街を自由に歩けるようになったことだと思う。
初日はいろいろ絡まれたり怖がられたりしたけれど、
パフォーマンスじゃなくって「友達」として
ベータたちが一緒に歩いてくれたりしてくれたからかしら。
今はもう誰もなにも言わなくなったし、
エージェントやアンドロイド付きじゃなくったって
ギリスと胸を張って街を歩けるようになった。
お日様がまだ昇っている時間に、ギリスと二人並んでデートに行ける。
そんなの、この時代では絶対にできないと思ってた。
幸せすぎて足取りも自然に弾んで、声だって何倍も高くなる。
何でもないことが嬉しくって、普通になることが嬉しかった。

「ルートエージェントの試験って、どのぐらいの難しさなんだろうな」

ギリスが唐突にそんなことを言いだすまでは。

「……ルート、エージェント?」
それは、かつての私たちの敵の役職で、最近友達になれた子たちの職業。
意思決定機関・エルドラドの一員だ。

「ああ。今度採用試験をやるみたいなんだ。折角だから、受けてみようかと思ってね」

ギリスの青い目に、私はちゃんと映ってる。でも、私は急に怖くなった。
だってギリスが見ているのは、私を置いて進んだ先の世界だったから。

「SARUが言ってたんだけど、試験さえ受かれば
 社会復帰も兼ねて僕らを雇ってくれるらしいよ。
 別に、エージェントになって何かしたい事がある訳じゃないけど……
 エルドラドにはガンマやアルファも居るしね。普通に身を立てるよりいいかと思ってさ」
「……そう」

前を向いているギリスはとても素敵。
決して特別な存在じゃなくなっても、自分で歩くための道標をを見つけたんだもの。
私がギリスを好きだから、っていう前提を抜いたとしても、
きっと世界で一番格好いいのはこのひとだと思う。
私はどうなんだろう。私には何もない。
ただ「普通」になったことに喜んでいるだけで、この先の事なんて何も考えていない。
急に足元がぐらついて、上も下も左も右も何も見えなくなった。
まるで無重力の中にいるみたいに頼りない。
感じるのはただ、絡めた腕から伝わるギリスの暖かさだけだった。
普通になるってことは、ギリスとの特別な糸が切れるってことと同意なんだって、
私は今初めて理解した。

「ギリスならなんだってできるわ」

精一杯の強がりがなんとか形にできたから、そう応える声はどうにか震えずに済んだ。
微笑むギリスが、今は少し遠くに感じる。
少しずつ、私とギリスを結んでいる糸は解けている気がした。
私とギリスを繋いでいたものはたくさんあったけれど、
一番はきっと異能者として迫害される立場にいたことだったんだと思う。
ギリスは私を可愛いって言ってくれる。綺麗だって、美しいって誉めてくれる。
セカンドステージ・チルドレンだった頃は素直に喜べたけれど、今はそれほど嬉しくない。
だって私はもう特別な存在じゃない。
普通になってしまった私には、ギリスを引きとめられるだけの何かがない。

「ギリス」
「ん? どうしたんだい、メイア」

本当は、この腕を抱き締めて、縋ってしまいたい。
どこにも行かないで、置いて行かないで、離さないでって言いたい。
でも、言ってみてギリスがどんな顔をするのかが想像できなかった。
セカンドステージ・チルドレンだったころは、超能力でギリスの気持ちがすぐに解ったし、
私たちが特別な存在だって思ってたからお互いの言葉に自信があった。
今はそうじゃない。それが怖い。

「メイア?」
「あの、ね……」

回した腕に、ぎゅっと力を込める。
ギリスは不思議そうに私を見ているけれど、本心なんて言えるわけがない。

「が、頑張って。応援するわ! 正直、どうしたらいいかはよく解らないんだけど……」

取り繕ったような顔と声なのは、テレパシー抜きでも彼に伝わってしまっているだろう。
だってギリスはとても聡い人だから。
目を逸らして、スカートの裾と爪先だけを見る。沈黙が今は何より怖かった。

「メイアが傍に居てくれるなら、頑張れるよ」

ギリスは何も言わないで、右腕に回していた私の手に自分の手を重ねてくれた。
私よりも一回り大きくて暖かな手が、そっと触れる。
恐る恐るギリスに視線を向けてみたら、
レンズ越しのサファイアが私を映してきらきら輝いていた。

「……ギリス」

彼は優しく微笑んでくれて、超能力はもうないのに
私が一番言って欲しい事をぴたりと当ててくれた。
なんだか目が熱い。視界も滲んできて、世界が揺らめいている。
でも、無重力感はなくなって、ちゃんと自分の足で立ててるなって解るようになった。

「ギリスぅ……」
「え? め、メイア? ちょ、ちょっとメイア、どうしたんだい? メイア?」

慌てたギリスが私の名前を連呼している。ちょっとおかしいけど、凄く嬉しい。
ギリスの指が私の目尻に触れる。私の涙を拭う。視界が少しずつ晴れてくる。

「なんでもないわ」

私たちが求めた楽園はもうない。超能力もない。私たちは別に特別な存在じゃないけれど。
でも、「特別同士」じゃなくたって、繋がりまでなくなった訳じゃないのよね。
青い瞳をじっと見つめ返してみる。
前はそれだけで以心伝心できたけど、今はもう叶わない。
だから、ギリスは軽く首を傾げている。

「これからは、思ったことは口で言わなくちゃいけないのね。難しいわ」
「何か難しいことを考えていたのかい」
「ううん。凄く簡単なことよ」

なくなったピースは探せばいい。
そうじゃなかったら、いつか二人で作ったとてつもない装置みたいに、新しく作ればいい。

「次はどのお店に入ろうかなって考えてたの」

欠片が一つ消えた代わりに、なかったはずの時間がいっぱいできたんだから。



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