「天馬のことは友達としてなら全然ありだけどさ、彼女とかはねぇ。ボクにも選ぶ権利あるよ」

必死に取り繕っている雨宮には、天馬がどこか生温い目をしていることにまるで気付かない。

「だってほら、天馬ってもしかしたらボクより男らしいし」

よくもまぁ次から次へと憎まれ口が出てくるもんだと感心しながら、
天馬はほんの少しだけサディスティックな気分で微笑みを浮かべた。

「他の女の子にそういうこと言っちゃダメだよ? 多分、泣いちゃうからさ」

瞬間、ぞくりと背筋を冷やして、翡翠色の目を見開く彼の様子に、天馬は笑みを深くする。
だって彼のこんな振る舞いを知っているのはきっと自分だけだ。
新雲学園の面々だって知らないはずだ。冬花すら見たことのない表情だろう。

「……大丈夫だよ。ほんとはボク、女の子に優しいから」

影を落としたまま呟く雨宮を見ていると、心の奥で何かが疼く。
これが悪女になるということなんだろうか。天馬は笑顔の奥で、そんなことを考えている。



雨宮太陽の態度が豹変したのは、丁度彼が孔明とのミキシマックスを果たしたぐらいからだ。
かつては頭の悪い犬がするようにわふわふとじゃれついていたが、
今やあの気安さはなりを潜め、不自然なぐらいに天馬から遠ざかろうとする。

(太陽、やっと俺が女だって意識してくれたんだな)

特別のラインに片足だけでも乗ることができたからこそ、こんな変異を見せたんだろう。
天馬は冷静にそう分析できていた。天馬もまた、そういう意味で雨宮を意識していたからだ。
素っ気なくなってしまったのは少し寂しいが、ようやくスタートラインに立てた。
ただの友達から脱却できる望みが繋がっていることに、小さくガッツポーズをする。
あまり人には見られたくないはしゃぎようを見せる少女の頭上に、
熱を冷ますようにして、骨ばった大きな手がぽすりと乗せられた。

「何やってんだ、お前」
「うわぁっ」

手の感触に驚きながら視線を上げれば、無表情でこちらを見下ろす硬質な金色の瞳がそこにある。
ぱちぱち瞬きすると、呆れたようにふっと切れ長の目が伏せられた。

「……何だよ剣城、言いたいことがあるなら言えよ」
「浮かれてるな」

手を離して、名を呼ばれた少年――剣城・京介は淡々とそう返す。
剣城が示したのは無口で無表情で無感動な、ないない尽くしの態度だった。
しかし、馬鹿にされているのはいかに鈍い天馬と言えども理解できる。
天馬はむっと唇を尖らせて、眉を顰めて、精一杯に不機嫌を表現してみせた。

「剣城に乙女の気持ちなんか解んないんだよ」
「ああ、雨宮絡みか」

境遇がそうさせたのだろう。剣城は人一倍大人びていた。
天馬の心が誰に向いているのかだって、とうの昔に見透かされている。
表情も変えずに一刀両断されたのは悔しかったが、間違いではないので否定はしない。
ただ、不機嫌な表情はそのままにじっと恨みがましい目を向けてやる。

「詰られてやり返して喜ぶとか、お前も相当上級者だよな」
「誤解を招くような言い方するなよ!」
「事実だろ」
「だって、なんかむかつくんだもん」

二人の出会いはホーリーロード本戦中だ。
あれは運命と言い張ってもいい。少なくとも、天馬の中ではそうだった。
しかし、当時は二人きりで病室に居たり、やたらドラマティックな邂逅を重ねたりしたのに、
雨宮本人に女と認識されたのは今更のことだ。紆余曲折があったにしては芽吹くがあまりに遅い。
八つ当たりも甚だしいが、剣城に向き直ってぼすんと胸を叩く。
それでもやはり、彼の石膏像のような無表情は変わらない。
寧ろ、元シードの鍛え抜かれた腹筋を叩いた自分の手の方が痛いくらいだった。

「お前から告白してやったらどうだ」
「え、まだ早いよ……やっと意識してくれたってだけだし、それに」

そこから先を、剣城と見つめ合って言えるだけの根性が天馬にはなかった。
夜風に揺れる風鈴のように頼りなく震える青灰色の透き通った瞳は、
感情の見えない剣城の視線から逃れるようにわざとらしく逸らされる。

「お、男の子から告白されたいって思うの、やっぱダメかな」

照れで熱くなる頬を隠すように、両手で顔を抑える。
予想外の答えだったのだろう。剣城は目を見開いてこちらの動向を窺っている。

「そういうものか?」
「……剣城には解んないかもしれないけど、女の子って結構そうだと思うよ」
「そうか」

何で剣城にそんなことを解説しなければならないのだ。天馬は頬が余計熱くなったのを感じた。
対する剣城は少しだけ何かを悩む素振りを見せていたが、やがて意を決したらしい。
ポケットからも手を抜き、ふぅっと深呼吸する。

「天馬」

声変わりを終えた低い声で名を呼ばれ、天馬は先ほど逸らした視線を剣城に向ける。
剣城の表情は変わらない。目線だって逸らさない。

「お前が好きだ。俺と付き合ってくれ、天馬」

そんな突拍子もないことを言い出すその瞬間も、いつもの無表情だった。

「……は?」

好き。付き合ってくれ。誰が誰に向けた言葉かは火を見るより明らかだ。
いまいち言葉の足りない剣城にしては珍しく、主語も述語も完璧な告白だった。
見つめる瞳は「つるぎ」の響きが示す通りに鋭く輝いている。
丹念に磨き上げられた鏡面のようにつやのある金色の目には、
ぽかんと口を開けた天馬ただ一人だけが映し出されていた。

「い、いつから、え、何で急に」
「自覚したのは海王学園との試合中に俺の方を見てきたとき。
 何でかは、今お前が男から告白された方がいいって言ったからだ」
「かなり前だね!?」

動揺と突っ込み慣れしていないのが重なって、天馬の指摘はかなりずれている。
ますます顔が赤く熱くなるのを手のひらで必死に抑える少女を、剣城はただ黙って見据えた。

「狩屋だのダブルウィングの練習だの鬼道監督だので荒れてるうちに、
 一息ついた頃には雨宮雨宮って言い出しただろ。決勝戦前に告白したら流されたしな」
「決勝戦前って……」
「ファイアトルネード・ダブルドライブのパートナー。選んだ理由を聞いてきたのはお前だぞ」

あれ告白だったのか。確かに恥ずかしいことを言われていたような気はする。
予想外すぎる展開にわなわなと震えることしかできない少女の手をとった剣城は、
眼光鋭く天馬を見つめ、涼やかな声で囁いた。

「俺にしろ」

少女漫画以外ではまず聞かない台詞を真顔で突きつけられて、天馬の思考は完全に吹き飛んだ。

「え、待って、剣城」

機能停止寸前で絞り出した悲鳴も虚しく、剣城は止まらなかった。
それどころか、あともう数センチのところまでぐいっと顔を近付けられる。

――ああ、何か乙女として大切なものを剣城に奪われてしまう気がする。

剣城の反応から挙動からが全て理解の範疇を超えていて、
天馬はまるで全身が凍り付いてしまったかのように硬直していた。降ってくる唇を避けられない。

「つる、ぎ」

強張る天馬の唇に、剣城のそれが重なる――か否か、というその刹那のことだった。

「くっ、くれ、クレイジーサンライトぉぉぉ!!」
「うわああっ!?」

乱れ撃たれた矢のように降り注ぐ極光に目が眩む。
咄嗟に身を翻した剣城の背が視界を閉ざしてくれたおかげで深刻な影響はなかったが、
それでも天馬たちに与えた衝撃は相当なものだ。
甘い空気も止まった時間も、全部全部狂ったように差し込む光が消し飛ばしてしまった。
やがて光が止む頃に、剣城がチッと舌打ちする。

「何のつもりだ、雨宮」
「何のつもりって……こっちの台詞だよ!」

剣城の影から顔を出すと、そこには半泣きで怒り狂っている雨宮が立っていた。
雨宮は大股でこちらに駆けてくるなり剣城を引き剥がし、襟首を思い切り掴み上げる。

「なんで剣城くんが天馬口説いてんだよ! そんなこと頼んでないだろ!」
「慰めてきてくれって言ったのはお前だぞ」
「そんな方向性で慰めるなよ!?」

何だかよく解らないが二人の間には何らかの協定があったらしい。
内容についてはろくでもないことのような予感がしなくもないが。

「っていうかさぁ」

不意に、雨宮のきつい視線が突き刺さってきた。次はこちらが矛先になるらしい。

「天馬も天馬だよ。冗談を本気にするなよな」
「え、冗談?」
「冗談以外で天馬なんか口説くわけないだろ!」

口ごもった理由は定かではないが、あれが剣城なりのジョークだというのはまだ納得できた。
人付き合いのあまり得意ではない剣城のことだ、加減がよく解らなかったのだろう。
天馬はそうして自分の中で、この騒ぎを何とか落とし込もうとした。
が。

「逆だ。天馬は冗談で口説いていい相手じゃない」

真顔でそう言ってのけた剣城に、空気が凍る。

「それに、俺は冗談で誰かを口説けるほど器用じゃないぞ」

伏せられた金の目は、縋るように天馬を見つめて揺れる。
天馬と雨宮はぴしりと固まった。片方は赤くなり、片方は青くなってだが。

「今は無理でも、そのうち俺を選ばせてや――」
「さ、させ、させるかあああ!?」

叫ぶ雨宮の声を聞き流しながら、天馬はぐらぐらと足元が揺らぐような目眩を覚えた。
ああもしかしてこれは太陽をけしかける剣城の作戦なのかな……と一瞬考えたが、
冗談で誰かを口説けはしないという言葉に矛盾してしまうことに気付く。

「ほ、本気で、言ってんの……」
「ああ」

軽々と言ってのける剣城に、かあっと頬を真っ赤に染める。
それは天馬にしては珍しく聡い反応だった。剣城の心の機微に対してだけ鋭かった。
予想だにしない様々なあれこれが多すぎて意識が集中していたからだろう。
代償として、雨宮の様子の変化や呟きは見事に流した。

「……ボクと病室で二人きりでも、天馬全然そんなリアクションしなかったじゃん」

この発言と唇を噛む表情さえ逃していなければ比較的円満に解決できたはずなのだが。
そしてその解決方法を良しとしない剣城は、被せるようにずいっと躍り出る。

「悪いな、横から出てきた上に決勝点入れちまったみたいで」
「ホントだよボクの純情返せよ! っていうか勝負まだ決まってないから!?」

雨宮が剣城を右ストレートでどつき倒すのを呆然と見つめながら、
天馬は思考を止めてしまった頭をただただ抱えていた。

(えええ、俺悪女じゃん、マジで悪女じゃん、うえええええ)

悩みどころは盛大に間違えているようだったが。



後日、剣城に押し切られてしまうのか、吹っ切れた雨宮に押し倒されるのか、
ぶち切れた神童に二人まとめて薙ぎ倒されたのかは定かではないが、
それなりにろくでもない結末を迎えたことは追記しておく。



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