「ああっ、天馬! ね、このひと何とかしてくれよ!」
「え?」

雷門中サッカー部に雨宮太陽の声が馴染みだしたのはつい最近のことだ。
しかし、彼にしては声が悲痛だ。雨宮は健康関係と天馬以外にあまり感情を荒げない。
何事かと思って雨宮を見やれば、腰に不自然な何かがぶら下がっているのが見えた。

「……倉間先輩?」

雨宮の腰に、脱力した倉間が絡まっている。

「訳解んないんだよー! 練習中に寒い眠いって言ってたと思ったら急にこうなって!」
「寒いって……ああ」

前に浜野や速水から聞いた覚えがある。倉間は極端に寒さに弱いのだ。
その理由が「半分蛇だから」というおよそ現実離れしたものだと思い当るのは、
天馬と神童、それから円堂や鬼道、音無と言った監督並びに顧問たちぐらいだが。
真実を知っているのは、大人たちと新旧部長だけなのだ。

「おい、何の騒ぎ――ああ、倉間か」

雨宮の悲鳴を聞きつけてやってきたらしい神童が、何となく状況を察して目を伏せる。

「……成程。太陽は子供体温だものな。離れない訳だ」
「太陽神とか宿してますしね。やっぱ、他のひとに比べたら暖かいのかな?」
「何それ!? なんで天馬も神童さんも淡々としてんの!?」

有り体に言うなら倉間が人外かどうかを知っているかどうかの差だ。
とはいえ、倉間の正体はサッカー部が抱えるブラックボックスだ。
どちらかと言えば部外者枠に分類される雨宮にはとてもではないが教えられない。
倉間の意志で仲間たちには未だ真相を打ち明けられていない以上、
天馬にも神童にも雨宮にこの詳細を教える気はなかった。

「悪いな、倉間は寒いと人肌やら暖かさを求めるんだ。
 天気のいい日か季候が穏やかな日なら離れるだろうから、
 多少鬱陶しいだろうが今日のところは辛抱してくれないか?」
「それって寒い日は常にこうなりますって予告ですか? ボク生贄ですか?」

雨宮は一件頭が弱そうに見えるが、実際のところはかなり頭の回転が速かった。
諸葛孔明にも認められ、ザナークを唸らせた「十年に一度の天才」の称号は伊達ではない。
今この状況で雷門サッカー部内で求められている自分の立ち位置を正確に理解し、
瞬時に断る姿勢を見出そうとその翡翠色の目を混濁させる。

「倉間先輩、悪気があるわけじゃないんだよ。ただちょっと寒いだけで……」
「寒いとかそういう問題なのこれ!?」

じたばたと暴れてはいるが、二人が離れる気配は見えない。
どこにそんな力があるのか倉間は雨宮をがっしりとホールドしている。
天馬と神童の脳裏に、蛇が獲物の全身を縛る様に絡みつく光景が浮かびあがる。

「まぁ、このままじゃよくないよね……」

確かに、よく人となりも知らない倉間に突然絡まれるのは心を擦り減らすだろう。
天馬はふうっと溜め息を吐くと、雨宮の傍に寄って軽くしゃがみこむ。

「倉間先輩、太陽が困ってるんで、こっち来てくれますか?」
「は?」

神童と雨宮の、軽くドスの聞いた声は綺麗に重なった。
しかし、油断するとすぐにでも意識を手放しそうになっていた倉間には、
そんな二人の声など全くと言っていいほど聞こえていなかったらしい。

「てんま」

そう一言呟くと、先程まで雨宮からぴったりとくっついて離れなかったはずの倉間は、
あっさり身を翻してすぐそばの天馬に正面から抱きついてしまった。

「ちょっとおおおおお!? 何なんですかこの展開!?
 アンタさっきまでボクに擦り寄ってましたよね、天馬から離れてくださいよ!!」
「おい倉間、寝ぼけるのも大概にしろ。冬の間と言わず春も夏も秋も寝かせるぞ」

騒がしく引き剥がそうとする雨宮の声も、殺人予告一歩手前の神童の声も、
夢と現の境界を往ったり来たりしている倉間にはまるで届いていない。
すりすりと天馬の胸に頬を擦り寄せながら、うとうとと夢見心地で寝息を立てている。

「先輩、この時期だけは大人しいんだなぁ……先輩、寝るなら保健室行きましょう」
「寝て……ねえよ……」

倉間はほぼ言葉になっていないような声で甘ったるい返事をする。
溜め息混じりにぽんぽんと倉間の背中を叩き、子供をあやすようなノリで体を支えてやる。
その背後で神童の目が瞳孔ごと大きく見開かれ、雨宮から表情が消えたことになど、
お互いしか見えていない天馬と倉間にはまるで伝わっては居ない。

「……天馬ぁ、それ重いでしょ? いいよ、保健室連れていくぐらいならボクが運ぶ。
 アポロのお陰でボクの体ってあったかいみたいだし」
「って太陽が言ってますよ、先輩。ほら、行きましょう」
「行かねえし……それ、天馬じゃねえだろ」

むぎゅう、とより一層強く抱かれて、天馬の頬が朱に染まる。
一方で、雨宮と神童から立ち上る殺意の量がぶわりと色濃くなった。

「あ、ちょ、ちょっと、先輩っ」
「さむい」

回してくる腕の力が強くなり、ぴたりと密着してくるようになる。
倉間が感じている寒気は先程から冷気でなく悪意や殺気にすり替わっているのだが、
眠気で視界の八割がカットされているせいか、寒さの元凶から離れる気は起きないらしい。
実際のところ、天馬から離れて雨宮に拠り所を変えるだけでこの問題は収束されるし、
いつもの倉間なら照れ隠し半分保身半分ですぐにそうするはずだった。
しかし、冬眠寸前で意識が失われかけている今の倉間は、
いつものような気の張り方をしていないので、寧ろ自分の欲求に素直だ。

「天馬……」
「あああっ!?」

雨宮の悲鳴が響く。同時に、神童の顔色が真っ青に変わる。
うとうとと、眠気に任せて口を軽く開き、天馬の喉笛に歯を立て――

「うああああっ、魔神ペガサスアーク・アームドッ!!!」

瞬間、爆音と同時に倉間の体がグラウンドに叩きつけられる。
「えっ」と、雨宮が素でリアクションに困っている声を漏らした。

「――あっ、ごめんなさい倉間先輩、大丈夫ですか!? でも俺噛まれるのはちょっと!」

半分が毒蛇――ヨコバイガラガラヘビで出来ている倉間に噛まれてしまうと、
その周辺から細胞が壊死して血が止まらなくなるらしい。
そんな話を事前に聞かされていた天馬にとって、近づいてくる牙は恐怖だった。
結果、ほぼ無意識で叩き潰してしまったのが今だ。
一方神童は青ざめた表情を和らげて、爆発の中心へと駆け寄る。

「そうか、天馬から離れなかったのはこれか……そうだな、こっちも本能だものな」

ほっと胸を撫で下ろしながら、神童は濁らせた目をまた輝かせた。
神童は、倉間と天馬の仲を誤解したままでいる。
時折漂う甘ったるい雰囲気にこそ違和感を――いや、正しくは違う。
身の毛がよだつような悪寒に近い何かを感じているが、
あくまで二人の間にあるのは仲間意識であって慕情はないと勘違いをしている。
そして今、神童はもう一重勘違いを塗り重ねた。
先程から倉間が天馬に離れなかったのが、執着ではなく食欲の方だと。

(解ってたことじゃないか。天馬と倉間の間に何か特別なものなんかないって。
 だって天馬は俺の物だから。大丈夫、俺は何も間違ってなんかない)

一見普通そうに見えて、実のところ神童に正気はない。
頬笑む神童は女子が悲鳴を上げる程度に美しいが、その内に潜む狂気は誰も知らない。
そう、それはまさに神童が真実を知らないように。

「え、あの、何が何だかよく解らないんですけど」

神童よりは正気だが事情には全く詳しくない雨宮は、目を白黒させながら一同を見る。
雨宮の突っ込み所は正しいが、それに答えることはできない。
アームドを解いた天馬は、神童と共に意識を完全に失った倉間を回収する。

「気にしなくていい。倉間はたまにこうなんだ」
「なんでそんな危険人物野放しにしてるんですかアンタら」

天馬も神童も、うっと言葉に詰まることしかできない。
品定めするような冷ややかな視線を受け流しながら、二人はゆっくりと立ち上がる。

「ごめんね太陽。俺たち、保健室行ってくるから」
「すまないが、先に練習に戻っていてくれ」
「は? え、ちょっと――」

手を伸ばしてくる雨宮を振り払って、倉間を抱えたまま二人は走り出す。
何も語らないまま遠くなっていく背中を見送りながら、
雨宮は切れ長のターコイズグリーンの瞳をすっと細めた。

(……よく解んないけど、何か嫌な感じだなぁ)

ぎゅっとユニフォームの裾を握り締め、雨宮は唇をツンと尖らせる。
不機嫌な表情で見据えた先には、倉間だけが映っていた。

「誰であっても天馬は渡さないからね」

神童と違って、雨宮は二人の間に流れる空気を正確に読み取れているらしかった。
ひとまず、どれだけ鬱陶しくても倉間は振りはらわないようにしよう。
熱を求めて纏わりつく先が自分ならいいが、天馬に近づけせるなんて冗談じゃない。
雨宮はそう一人自分の中に誓いを立てて、練習の環の中へと戻って行った。



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