「おい、孕め」

開口一番の爆弾発言に、その場に居合わせた豪炎寺はまず大和の首裏へ手刀を叩き込んだ。
さながら、民間療法における鼻血の止め方のようだ。腕の振り抜きに殺意が滲んでいるが。
天馬も天馬で、試合で見せる反応の良さでもって大和からの距離を取る。

「豪炎寺さんも千宮路さんもいきなり何なんですか!?」
「いってえな……ストライカーが手使ってんじゃねえよ」

突っ込み所を履き違えたまま、大和は痛む首筋を手で撫でさすった。
液体ヘリウムのように冷え切った豪炎寺の目にも気圧されず、軽く舌を打ちする。

「とにかくあれだ、お前、妊娠しろ」

何もかもが繋がっていない話の流れに、鈍いなりに働いている天馬の防衛本能が警笛を鳴らした。
素早く豪炎寺の背後に回る。豪炎寺も豪炎寺で、つや消し処理された瞳で大和を見据える。

「何だよその態度は」
「当然の反応だ」

壁にされた豪炎寺が返事を代行する。
相手が子供でさえなければ、返事の代わりに鳩尾へシュートを叩き込んでもいいと思っていた。
変態に甘くすると徐々に要望がエスカレートしていくことを知っているからだ。
主に十年ほど前、親友がその被害にあっていたことを超至近距離で目撃している。
それと同じ状況が目を掛けた後輩で再現されたとあっては、当然穏やかではいられない。

「あの、俺、男です」
「お前なら孕めるだろ。なんとかしろ」
「したくないです」

生来の横暴さで、無理無茶無謀のないない尽くし三点セットを綺麗に揃えた命令が下される。
返事は「できない」ではなく「したくない」に変わった。
理屈で返事をしても斜め上に返される以上、感情論で反発するほうがよほど建設的だ。
何せ天馬に、好敵手であって恋人ではない大和の子を孕む意志は霞ほどにもないのだから。

「何がどうした」
「父の日だろ」

弁解の余地があるかを量るために投げかけた質問だが、大和の解答は見事に話が繋がらない。
父の日という単語は理解できるが、何故そこから天馬を孕ませる発想に至ったのかが不明である。
いよいよもって通報するべきかを迷いだしたところで、大和は平然と言ってのけた。

「父親になる日なんだろ?」

場の剣呑さが緩む。大和への印象が、変態からただのバカへと移行する。
豪炎寺の表情の険しさもミクロン単位で緩和した。天馬もほっと息をつく。

「……違いますよ、お父さんに感謝する日ですよ」

少しだけ緊張を緩めた天馬は、どこか生温い笑顔を浮かべて豪炎寺の影から顔を出す。
二人は暫しの間猛禽類と小動物のようなアイコンタクトを交わしていたが、
やがて大和が何かを噛み締めるように小さく頷いた。

「やっぱりお前、俺の子供を産め」
「だから何がどうしてそうなったんですか!? 嫌だって言いましたよね!」
「お前を持って帰ったら親父は喜ぶ」

印象がバカから脳筋の変態に飛躍する。先程から、目眩と頭痛が止まらない。
大きく一歩後ずさりつつ、おろおろと豪炎寺を見上げてみると、
何故か豪炎寺は沈痛な表情で天馬を見つめ返してきた。

「事実だ」
「事実なんですか!?」

先程から叫んでばかりだが、矢継ぎ早に衝撃的な展開が続くので致し方がない。
丸い目を大きく見開く天馬を、豪炎寺はいたたまれない様子で見やる。

「千宮路大悟はお前を見所のあるサッカープレーヤーとして評価している」

何せ、天馬をセカンドステージ・チルドレン候補として見ていたほどなのだ。
それを今の天馬に明かすつもりはないのだが、大和の言うことを否定することもできない。
適当に誤魔化すなり何なりすればいいのだが、それができない程度に豪炎寺は実直だった。

「……そ、そうなんですね。ちょっとびっくりしましたけど、嬉しいです」

ほっこりと笑う天馬に、豪炎寺はなんとも言えない微妙な表情で応えた。
いまここで天馬が目を輝かせることは、大和を調子づかせるだろうと思ったからだ。

「嬉しいなら、やっぱり」
「やらん」

案の定乗り気で発言しようとしたため、豪炎寺が手刀付きで制止した。
最早気分は娘がヤンキーの彼氏を連れてきた時の父親のそれだった。
ちなみに、妹がその手の彼氏を連れてきた場合は鳩尾にボールがめり込むどころの話ではない。

「大丈夫です豪炎寺さん、行きません。っていうか、あれですよね。
 これ、千宮路さんなりの、ドイツ式のギャグか何かなんですよね?」

希望的観測を述べる天馬の笑顔は悲壮だった。
流石に、かつての仇敵が今や自分を孕ませようと画策しているホモだとは思いたくないらしい。
しかし残念ながら現実に大和がホモなので、豪炎寺には何かを伝えてやることができなかった。
その代わり、違う真実に行き着いた。

「ドイツ」

彼の父である千宮路大悟はドイツで生まれ育ったと聞いている。
だからこそ、天馬はこれがドイツ式のギャグだという説を提唱したのだろう。
そして豪炎寺は、過去に父親の陰謀でドイツ送りにされかけたことがあった。だから気付いた。

「ドイツの父の日は五月だ」

空気が凍る。天馬の動きが固まり、豪炎寺の目が、黒曜石製の槍の切っ先のように鋭くなる。

「先月、普通に父の日を終えているな」

突き刺すような視線に、しかし大和は怯まない。

「うちの親父もこうやって俺をお袋に孕ませたって言ってたぞ。だから日本式に今日――」
「それ絶対に騙されてます!!」

周りにボケしかいなければ自分も突っ込みに回らざるを得ないため、
慣れないなりに声を張り上げて天馬は異常を主張した。
視界より低い位置からの絶叫に、大和は小さく首を傾げる。

「親父が俺を騙してどうすんだよ」
「面白がるな」
「面白がりますね」

あれほど剣呑だった豪炎寺の目は、残念な解答により一瞬で淀んだ。
縁日の金魚なら放り込んだだけでショック死する程度の温度差だ。
この少年には、あの父親のある種天然記念物と言える無茶さ加減が理解できていない。
最終的に破綻したとは言え、「サッカーを管理する」という夢物語を叶えた奇人だ。
特に意味もなく息子に嘘を教え込む図の方が余程現実感がある。

「大和を通報できないのは、だいたい頭が弱いせいだな」
「あぁ!?」

やくざのような声で凄みながら、大和は豪炎寺に睨みをきかせる。
それぐらいではミクロン単位でも動じない豪炎寺の背に隠れながら、
天馬は心の中でだけ豪炎寺の言葉に深く頷いていた。
何せ本当に頭が弱いので、あと三十分もすればこの話題が蒸し返されることはなく、
至って平和に帰宅できてしまうのだ。
青灰色の目は、最早濁るというよりは曇天模様に塗り潰されていた。

(多少強引だけど、しつこいよりはまだいい……のかな)

常に面倒くさいホモに囲まれている天馬にしてみれば、
ファザコンで頭の弱い変態は比較的御しやすい相手に分類されているらしかった。



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