「うわぁ、すっごい……優一さん、おっきいですね」

天馬の口から漏れた一言に、優一はぐらりと目眩を覚えた。
ぎしりとベッドのスプリングを軋ませて、天馬がぐっと体を近付ける。
そして、大きいと賛辞を述べられたそれにも、天馬の指がぷにりと食い込んだ。

「あ、でもちょっと堅いかも」

むにゅむにゅと弾力を楽しむように触れる指先に、何とも言えないもどかしさを感じる。
子供故の無邪気さが恐ろしい。実弟にはない年相応の天真爛漫な素振りが、優一の心を灼く。
歳の離れた男のそれに向ける眼差しは、好奇心と憧憬とが半々だ。

「……まぁ、年の甲だよ」
「じゃあ、俺もそのうち大きくなれるのかな」

天馬の青灰色をした瞳が、熱に浮かされて蕩けながらも指先の軌跡をなぞる。
すり……と輪郭に沿って優しく触れる暖かさに、優一は息を呑んだ。
そして天馬は言う。

「いいなぁ優一さんの手。なんか、お兄ちゃんって感じしますよね」

ああ、ついに言ってしまったか――などと思いながら、優一は笑顔の質を変えた。
漂っていた何かが霧散すると、ベッドの上の光景は一気に日常風景になる。
後はもう何てことはない、厚意の延長上にあるただのスキンシップだ。
「まぁ、剣城のお兄さんなんですけど」なんてへらへら微笑む天馬はとうに思考の外にある。

(手だって言わないでいてくれたらいろいろ想像の余地があったんだけどなぁ)

まるで春に咲く一輪の小さな花のように穏やかな柔らかい笑みを浮かべたその下に、
健全な若者らしい下世話な思惑があることなど天馬には悟らせたくはない。
そのために、優一は気合いを入れて邪念をひた隠す。しかし追い出しはしない。抱えたままだ。
だから優一の妄想などまるで知りもしない少年は、まだ食い込ませた指を離さずにいた。

「あ、ここタコになってる」

一際固いしこりに、ぐりっと人差し指の腹が押し当てられる。
それは、下半身の自由がない優一が必死で身動きをとるために。
もしくはリハビリの度に、両の手で体重を支える関係上必然的にできたタコだった。
軽くそれを説明してやると、天馬はふにゃりと頬を緩める。

「なんかかっこいいですね、職業病みたいな感じですか?」
「職業病は……違う意味の言葉じゃないかな」
「えっ」

まるい瞳をぱちぱち見開きながら、天馬は首を傾げる。

「でも、キーパーとかすっごい手がっしりするじゃないですか。
 最近信助がキーパーの練習もするようになったんですけど、
 まだ日も浅いのに指とか手のひらとかすっごい堅くなったんですよ!
 前はもみじみたいな手のひらだったのに!」

名残惜しさ全開のマシンガントークに、優一は困ったように笑ってみせた。
恐らく、「もみじみたいな手のひら」と語る天馬のそれは、信助にとって苦痛だろうからだ。
本人には言わない方がいいに違いない。間違いなく頭突きが鳩尾目掛けて飛んでくる。
ひどいよ天馬、と騒ぎ立てる彼とうずくまる天馬、そして呆れたようにそれを見やる弟。
触れ合う時間のそれほど長くない優一でも、そんな光景が易々と想像できる。

「俺なんか、どうも指とかぷにってしてて……
 剣城とか、キャプテンみたいに、しゅっとしてたら格好いいのになぁ」

ふと、天馬が指を離してそんなことを呟いた。
開いた両の手のひらをそっと見つめ、はぁ……っと重い溜め息をつく。
小さな唇から紡がれた二つの名前に、三日月色の双眸が冷たく輝く。

「二人に憧れる?」

苦笑しながら漏らしたその一言は、自分で思っていた以上に冷えた声色だったらしい。
天馬の目はぱちりと見開かれた。つぶらなアクアマリンが、不思議そうに揺れる。
暫し天馬は黙りこくっていたが、やがてふにゃりと微笑んだ。

「優一さんの手が一番すきですよ」

回答は直球だった。そして、優一が最も望んでいた最適解だった。
普段は鈍いはずなのに、いざという時には一番欲しい言葉を落とす。
松風天馬はそういう少年だった。だからこそ好きだった。焦がれた。
堪らなくなって、一度は離れた天馬の手をとる。え、と見開かれた目は無視をした。

「天馬くんの手は、柔らかいよね」

お返しのように手のひらに指先を滑らせる。
第二次性徴期真っ只中の少年の手は、やがて男らしく堅く節くれだってくるのだろう。
まだ柔らかさを帯びた手のひらを愛おしむように、優一はそこへ唇を落とす。

「俺も、天馬くんの手が一番すきだなぁ」

優一が囁く愛の言葉に、天馬は面食らったような顔をしていたが、
やがて眉だけをハの字にして、戸惑いながらも笑顔を浮かべる。

(先に言い出したのは天馬くんのくせに)

そういう初心なところも好きなのだけれど――と、優一はもう一度天馬の手のひらに口づけた。



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