青みがかった白いタイルの床をてこてこと駆け抜けて、天馬は一目散に走る。
病院の廊下を走るのは褒められたことではないと知っている。しかし、逸る心は抑えきれない。

「太陽っ!」

ばん、と勢い良く扉を開ける――が、病室内に望んだひとの姿はなかった。

「あれ」

がらんとした白い室内に、鮮やかなオレンジ色は見当たらない。
半身だけ乗り出して扉横のプレートを確認するも、そこには正しく雨宮太陽の名が刻まれている。
どうも、突撃先の部屋を間違えているという訳でもないようだ。

「なんかの検査中だったかな」

見た目に反して重病人の彼は、度々訳の解らない検査で拘束されている。
――その都度逃亡、確保、連行のステップを踏んで検査室に放り込まれながら。
今日も恐らくそんな何かしらの検査が重なっていたのだろう。
いつもならば開口一番に天馬の名を呼ぶ彼の姿はなく、残り香だけが置き去りだ。

「仕方ないか」

天馬は室内に足を踏み入れると、鞄を備え付けの丸椅子に乗せ、自分はベッドに座り込んだ。
優一の病室に顔を出して時間を潰すという手もあったはずなのに、
今の天馬は、何故だかそうする気にはならなかった。

「たいよう」

ぼそりと小さく呟いて、ベッドに横たわる。
すでに熱は逃げていたが、シーツからは微かに彼の香りがするような気がした。
すぅ、と深呼吸して目を伏せる――日々のハードな練習で疲れた体に、睡魔は簡単に訪れた。

「た……い、よぉ……」

もはや明瞭ではない口調で彼の名を呼び、天馬は意識を放り投げる。
やがて穏やかな寝息が立つまでに、そう時間はかからなかった。



規則正しく胸を上下させて自分のベッドを占領している少年を見下ろしながら、
雨宮・太陽そのひとはにやにやと頬を緩ませている。

「太陽くん、気持ち悪いわよ」
「うぐっ……酷いなぁ冬香さん、こんな美少年捕まえて気持ち悪いなんて」
「え? 美少年? そんな子いたかしら?」
「冬香さん!?」

きょろきょろと辺りを見回すような仕草をする冬香に、太陽はムッとして叫ぶ。
そして思わず叫んでから、すやすやと眠る天馬を慌てて見やった。
今の怒声で起こしてしまったのでは……と不安になったからだ。
見下ろす少年が今もぐっすり夢の世界を旅しているのを見て、
雨宮は安堵したようにほっと胸をなで下ろし、そしてふにゃりと笑う。

「天馬ってば、ほんとかわいいなぁ」
「困ったわね……脳神経外科にも回さないといけないかも」
「ぼ、ボクはもう反応しないからね……」

ぴきぴき頬をひきつらせながら、雨宮は天馬の横に自らも倒れ込む。
二人分でギリギリいっぱいになるベッドの上で、天馬を背中から抱きしめるように寝転がり、
雨宮は幸せいっぱいの表情で陶酔しきった感嘆の声を漏らす。

「ふふふ、天馬ー……」

胸の中に閉じ込めた少年の暖かさは、苛立ちも検査中の鬱屈とした閉塞感も何もかもを溶かす。
それこそ、新しい風が体に流れ込んで何もかもを洗い流していくように。

「待ちきれないで眠っちゃうとか、どんだけかわいいのかなぁ。ね、冬香さん」
「5分置きに見回りにくるからね」
「スルーはこの際どうでもいいとして間隔短すぎない!? 空気読んでよ!?」

一度だけ飛び起きてから、雨宮はまたベッドに沈んで天馬を掻き抱く。
そして腕の中の温もりをすりすりと思う存分堪能しながら、彼もまた目を伏せた。
きっと、寝息が重なるのはすぐのことだ。

「もう、天馬くんがいるときじゃないと大人しくしててくれないんだから」

ぱたぱたとナースサンダルを鳴らして、冬香は病室を後にする。
部屋を出て行く前に室内を一瞥し、くすりと微笑みながら。

「お疲れ様、二人とも」

そしてぱたりと部屋の扉が閉じて、二人だけの世界ができる。



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