「……神童!?」
霧野の叫びがフィールドに木霊する。
観衆たちの拍手も鳴り止み、崩れ落ちた神童・拓人そのひとに視線が集まった。
「キャプテン!?」
「待って」
駆け出そうとした天馬を、肩抱きしたままの雨宮がその場に踏みとどまることで引き止める。
え、と鳴く天馬の困惑混じりの呟きは雨宮の耳の内にだけ止まった。そして雨宮は言う。
「様子が変だよ」
冬の風のように冷え切ったエメラルドの目は、じっと神童を見据える。
その目に光はない。雨宮・太陽という少年の人となりを知る者が見たら、自分の目を疑う程に。
そして実際に新雲学園一同は雨宮の豹変を異常事態として受け取り、
思わず彼の顔色を二度見、三度見してしまっていた。
それを超至近距離で見て取れるはずの天馬は、何故かそれをスルーしていたが。
「倒れたんだから変に決まってるだろ! キャプテン、大丈夫ですかキャプテン!!」
雨宮をずりざり引きずりながら、天馬は倒れた神童に駆け寄る。
もうそれ振り捨てていいんだぞと新雲学園の面々ですらそう思っているのだが、
がっしり抱きつかれているせいで振り払うこともできないらしい。
結局、天馬は雨宮の抵抗を全て無視した上で神童に駆け寄る。
霧野は一瞬ぎょっとした顔でその光景を視界に収めたが、それに突っ込める心の余裕はない。
崩れた神童を揺り起こしながら、天馬に向けて言う。
「天馬、監督を呼んで――」
その声に反応したのは、他の誰でもなく神童拓人そのひとだった。
「てんま」
ぴくりと指先が動く。砂の地面に、神童が爪を立てる。
まるで安いゾンビ映画1シーンのようだ。ぎぎぎと骨が軋むような音が鳴っている気がする。
そんな状態で、両手の力だけを使って神童は身を起こす。
「神童っ」
「てん、ま……」
「キャプテンっ」
倒れ伏す神童に霧野が支えに入る。天馬も駆け寄りたいのだが、雨宮が邪魔でそうもいかない。
ここに来て初めて天馬は身動ぎした。指先一つ離れてはくれなかったが。
「太陽、いい加減離せってば! キャプテンが!」
「てん……まが」
ぽつり呟く声が、フィールドに響く。
「天馬が……足りない……」
支えていた霧野やら静観していた三国やらが一様に崩れ落ちる。
訳が解っていないのは松風天馬本人と、雷門中の交友関係事情を知らない新雲学園勢ぐらいだ。
一方で雨宮の瞳に宿る剣呑な影が色濃くなり、冷えきったエメラルドが神童を貫く。
「キャプテン?」
「ゴール決めたときは剣城だったし、今は雨宮だし……俺、俺だって、俺の方が」
言いながら左脇腹を抑える幼馴染みの姿に霧野は絶句する。
ああ、こいつ嫉妬で胃潰瘍になったのか――と嫌な推測が立った。
「……ほら、大したことじゃなかった」
そんな霧野の戦慄も知ったことではない雨宮は、ぎゅっと天馬の肩を抱く。
試合中よりもずっと凍てついた輝きを宿した翡翠色の目は、
倒れ伏した神童を一瞥してから天馬の横顔に移行する。
「太陽?」
「ねえ天馬、あんなの放っておいてさ、早くどこかに――」
しかし雨宮の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
放り投げられた空き缶が、見事に脳天へダイレクトヒットしたからだ。
頭頂部に受けた衝撃で、雨宮の体から力が抜ける。ぐらりとその場に崩れ落ちる。
どさりと地面に倒れてしまった友人の姿に、天馬はひゅっと息を呑んだ。
「た、太陽! 酷い、誰がこんな――」
「俺だよ」
「えっ!?」
知り合いの声にやたら似てて凄く驚いた、完全に一致してた、と後に音無・春奈は語る。
その声は客席から響いていた。恐る恐る振り返ると、そこにはかつての仲間である南沢の姿。
肩で息をしながら、やり遂げた男の顔で力強く親指を立てている。
客席からフィールドに物を放り投げるのは立派な迷惑行為なので、
兵頭は顔面蒼白になりながら説教を始めているがすでに聞き耳など持っていない。
更に言えば。
「南沢さんナイッシュー!!」
「っちゅーかサッカーやってる場合じゃなくね?」
――という具合で、一部二年生からは大好評だった。
「な、え……霧野先輩、俺、どうしたら……」
「そうだな……」
霧野は淀みきった眼で周辺及び嫉妬によるストレス性の胃潰瘍で倒れた神童を見下ろしながら、
嫌でも濁って行く溜め息をはあ……と漏らす。
「まずは、一人ずつ息の根止めていくか……」
正直な話、もうこいつらの相手などしていたくもない。
それは霧野に限らず、雷門中サッカー部の総意でもあった。