「ねー剣城、こっちの方が良いかなぁ」
「剣城はこういう奴の方が好きでしょ」
「そ、それはちょっとえっちすぎじゃ……あっ、これとかどうかな?」

サッカー部が誇る美少女たちを侍らせながら、剣城は思考回路を停止させる。
天馬と葵、輝がひとつひとつ反応を確かめてくる間、決して反応しないよう心を氷にし、
剣城はただただ黙って虚空を見つめることに終始している。

「いや、剣城くんに聞くなよ……っていうかそもそも連れてくるなよ……」

唯一常識を残している狩屋だけが、ぼそりとそんなことを言う。
――剣城が珍しく頬を硬直させて立ち尽くしているこの場所は、
どのデパートにも必ずある売り場……いわゆる女性用下着売り場だった。
中学一年生男子にしては珍しい高身長の、ともすれば高校生に見えなくもない美形が、
美少女四人におともの小動物連れで女性用下着売り場にいる光景は尋常でないほどに浮く。
少女たちのうち狩屋だけは恥じらってまともに買い物などできていないが、
残り三人が常に剣城の反応を伺ってくるのが異常さに拍車をかけた。
どう見てもハーレムの主だ。悪い気はしないような気もするが別にそこまでは望んでいない。
葛藤する剣城をよそに、足元の小動物もとい信助が無邪気に笑う。

「うわー、僕女の子の下着売り場なんて初めて入ったよー! 凄いね剣城ー!」
「頼むからお前黙っててくれ!」

目立ちたくない剣城はその一心で信助を抱えあげ、アイアンクローのような手つきで口を塞いだ。
腕の中でもごもごと暴れているが気にする余裕がない。寧ろ怒りが募る。
そんな漫才を繰り広げていたら、くい……とマント状にした上着が引き寄せられた。
釣られて振り返れば、可愛らしい布地を手に首を傾げる天馬の姿。

「ね、剣城。どっちの方が好き?」
「は」

淡いピンクの可愛らしいチェック柄、胸のリボンがチャームポイントであろうそれと、
雪のように白いレースとフリルが踊る上下を手にして、天馬が眉をハの字にする。
思わず喉が鳴った。

「剣城が好きなほう、買う」

天馬はほんのりと頬を染める。つまりは、見せてくれるのが前提なのだろうか。
わなわな震える剣城の反応を心から楽しんでいるらしき葵の笑顔が酷く腹立たしい。
解っていないのだろう輝はともかくとして、申しわけなさそうな狩屋を見習って欲しいと、
剣城は上手く働かなくなっている頭で必死にそう考えていた。
狩屋が特に天馬を止める気なんて見せていないことには気付かない。

「剣城は、こういうの嫌いだった?」

じゃあ他の選ばないと、と至って純粋に悩む天馬に、剣城の手が震える。
それに対して反応したのは剣城ではなかった。
代わりに応えたのは、拘束が緩んだ瞬間にそこから逃げ仰せたらしい信助だ。

「剣城は白だよ、だっていっつもみんなの柄教えてあげたとき、白の方が機嫌良さそう――」
「余計なこと言うなよ!?」

負けず劣らずの悪意のない笑顔でそう語り出す信助に対し、狩屋と葵の目は冷える。

「……へえ、剣城くんってば天馬くんというものがありながらそんなことしてたんだ」
「違う、西園が勝手に報告してくるだけであって俺は何も」
「信助に濡れ衣着せる気?」

じと目で睨みつけてくるその名の通りのスカイブルーに、剣城はたたらを踏んだ。
濡れ衣もなにも主犯だ、と叫ぶことすら許されない。

「輝、狩屋、私たちもスパッツ買って帰りましょ」
「え? スパッツ?」
「剣城くんが信助くん使ってえっちなこと企んでるから、俺たちは完全防備しよう」
「えええええっ!?」

女子たちが一致団結している最中で、天馬だけは信助の声に真剣に耳を傾ける。

「白、白かぁ……じゃあ、今度からは白にするね」
「……好きにしてくれ」
「良かったね剣城!」
「お前はちょっと空気読めよ!?」

さすがに最初期のように暴行を加えたりはしないが、それでも信助にかける言葉は冷たい。
目眩と頭痛を同時に覚えながら、剣城は頭を抱えていた。


そしてその頭痛は翌日も留まる所を知らなかった。
剣城の前に立ちふさがるは四本腕の化身・奏者マエストロ。
そしてその本体たる少女――神童・拓人は、すでに焦点の定かではない混濁した瞳を、
ただただ剣城の左胸に向けてその殺意を突き付ける。

「殺す。お前だけは殺す」

チームメイトに向けるには恐ろしすぎる言葉にも、雷門サッカー部は最早躊躇わない。
浜野に至っては目をきらきら輝かせながらその惨状を見守っていた。
その火の粉が自分に降りかからない間は愉快な騒ぎだからだ。

「え? なに、剣城またやらかしたの?」
「浜野くん悪趣味ですよぉ……まぁ、何かはしでかしたんでしょうけど」

いまいち芯が通っていなさそうな動きと声を出す速水に対し、倉間の目は完全に冷えている。
何せもともと好感度が高くないので、神童が下す処刑も「ざまぁ見ろ」としか思っていない。
それに、神童が剣城を攻撃する時点で原因は松風天馬なのだ。
それを踏まえると、倉間が応援すべきは神童であって剣城に同情の余地などない。
まぁ、自分が何か言うまでもないだろうとそう思っていた。その時までは。

「ちょこまか逃げるんじゃないド! ビバ! 万里の長城!!」
「……天城さん!?」

剣城の背後から現れた天城が、勢いよくグラウンドに拳を振り下ろす。
叩き込まれる拳圧を察した剣城の体は軽やかに横へ跳ねる。しかしそれも紙一重だ。
奏者マエストロが振るう腕の領域に入らぬ程度に跳躍した黒は、
くるりと宙返りしながら二人から離れた場所へと華麗に降り立った。
超能力バトル漫画のような騒ぎになりつつある争いに、二年生一同は絶句する。

「え、ちょ……神童くんはともかくとして、天城さん?」
「意外な取り合わせだねー。何でまた――」
「聞いてくださいよ!」
「うわっ」

首を傾げる浜野の背後から、葵が天馬を伴って現れた。その表情は怒り一色だ。

「剣城ってば、信助使って私たちの下着の色調べさせてたんです!」
「は」

絶句する倉間と速水に対し、浜野の目が一瞬輝いたことには誰も気付かない。

「だから天城さんが輝の代わりに怒ってくれてるんです。酷いですよね!」
「……それ、本当に剣城のせいじゃないと思うんだけどなぁ」
「じゃあ信助のせい?」
「そうとは言い切れないけど……」

困ったように笑う天馬に対し、倉間たちの表情は晴れない。
天城の怒りの理由は解ったが、神童があそこまで怒る理由が見えないのだ。

「神童もパンツ見られてたの?」
「あ、違います。キャプテンは天馬が剣城チョイスの下着着けてることにキレてます」

二年生一同は再度絶句する。

「その……新しいブラ、キャプテンに見せたら可愛い、って言ってくれたんで。
 剣城に選んでもらいましたって言ったら、知らないうちにこうなって……
 あの、申し訳ないんですけども、どなたか止めてくれませんか」

笑顔のまま固まっている浜野と顔面蒼白で虚空を見つめる速水の思考は、
何故剣城が天馬の下着を選ぶ機会に恵まれたのかなどということは気にしていない。
片思いの相手が恋敵の選んだ下着を身に付けているらしい事実を知ってしまった倉間の、
確実に穏やかではないだろう精神状態を案じている。

「……倉間くん、どうぞ」

速水は転がるボールが投げ渡し、倉間がほとんど無意識でそれをトラップする。
そして液体ヘリウムのように冷え切った闇色の目でもって剣城を見据えると、

「さ……サイドワインダァァァ!!!」

何故アルティメットサンダーを蹴り返せなかったのか疑問に思うほどの剛球を、
剣城の後頭部目掛けて絶叫とともに思い切り蹴り上げた。

「え、違います違います、俺が止めて欲しいのはキャプテンたちで剣城じゃな――」
「チッ」

左右に大きく逸れるボールに対し、剣城はバックステップし間合いを広げる。
サイドワインダーはコントロールに比重がある。勢いが良いのは、初めのカーブまでだ。

(初弾さえ避ければいい)

後は壁を展開する可能性のある天城の動きさえ目で追っていれば問題はない。
その判断、そして油断が生死を分けた。

「お前は殺す」

響く声は凛として剣城の鼓膜を貫く。
気付けば、神童が翡翠色の尾を引くサッカーボールを射程に捉えているのが見えた。
背後に化身の姿はない――とすれば、狙いは一つだ。

「シュートチェインか!」
「今更遅い……フォルテシモ!!」

翡翠が紫苑に塗り変わる。神童の蹴りが失った弾速を補い、剣城を狙う。
槍のように鋭く突き立てられたシュートが、ついに剣城を捉えたかに見えた。その瞬間。

「すいません、ちょっと一回預かります」

一人の少女が、前触れなく剣城の眼前に降り立った。
桜色をした少女の爪が、空気を裂くように一閃。
その軌跡は幾重にも重なり、網状になって広がる結界を形成する。

「ハンターズネット!」

声と共に実態を伴ったそれが、ぎゅりぎゅり悲鳴をあげながら波動を纏うボールを受け止める。
バトル漫画かアクション映画のような一連の騒ぎは、そこでひとまずの落ち着きを取り戻した。

「狩屋! 何のつもりだ!?」
「冤罪だったんで減刑してもらいに来たんですよ」

空中に舞い上がったボールを器用に片足で受け、地面に縫い止めながら狩屋が言う。

「スカートの中を偵察させたのは剣城くんの命令じゃなくて信助くんの自由意志でした。
 なんで、天城先輩は剣城くんをボコる前にまず信助くんからどうぞ」
「信助が? 信じられないド」
「本人の自供を得て、輝くんが今確保してます」

天城は暫し悩んでいたが、その言葉に嘘はないと判断したらしい。
剣城をひと睨みする程度で、どたばたとどこぞに駆け出して行った。

「……で、でも、もうひとつ罪状があんだろ」
「それが罪かどうかを決めるのって天馬くんじゃないですか? 嫌がってたら着ないですよ」

神童と倉間が押し黙る。天馬が剣城の趣味を拒絶してはいないのをよく知っているからだ。
鎮圧化した争いの様相に、葵は不服そうだったが天馬はほっと胸をなで下ろす。

(良かった、狩屋のおかげでなんとかなりそうだ)

しかしそれが希望的観測であることを天馬は知らない。

「……わかった。でも、私刑を敢行する分には構わないよな?」

神童の目は濁ったままだ。狩屋は剣城を見て、天馬を見て、最後に神童を見る。
その表情がだんだん笑顔に変わっていくのを見やり、速水が震える。

「キャプテン、パスいきます!」
「狩屋てめえ!?」
「うわあああっ、剣城逃げて、剣城ー!!!」

天高く蹴り上げたボールが光に重なるのと同時、剣城と天馬の悲鳴が重なる。
速水はもう現実から目を背けるのに必死なので、
浜野が信助確保と保護に乗り出していることにはまるで気付かない。

「練習しろよ、お前ら」

爆笑している錦の横でこめかみを震わせる車田だけが、今サッカー部で理性を残している。



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