※完全にパラレル



「もう、南沢さん! いつまでも寝てないで仕事してくださいよ!」

陽光と共に南沢を揺り起こすその暖かさに、うう……と唸り声をあげる。
薄目で周りの様子を伺うと、そこには紅白の巫女服に身を包んだ少年が居た。
松風・天馬――『雷門神社』に祀られた神『円堂守』の声を聞く神通力を持った少年。
本来ならば女児にしか扱えない筈の力を得たため、
齢13の少年にしてこの神社を預かることになった雷門の巫女。

「……仕事って言ったって、することなんか何もねえだろ」

もう少しだけ微睡んでいたかった南沢は、そう言ってもう一度目を伏せる。
しかし天馬はそれを許さず、もう一度ゆさゆさと南沢を揺らした。

「ありますよ、例大祭も近いんですから。円堂さんもさぼるなーって怒ってます!」
「お前は自分の神様を先生か父親みたいに扱うのをやめなさい」

乱れた着物を直しつつ体を起こし、窘めるように天馬の額に手刀を打つ。
うー、と唸った天馬がやがてぽーっとした瞳で南沢を見上げてきたので、
にやにやと笑いながらその両肩に手を添えてやる。
どうせ、着崩れた着物とまだ眠気の抜けきっていない自分に見惚れてしまったのだろう。
南沢は自分の外面が美形にカテゴライズされることを理解しているし、
幼気な中学生にとって目の保養兼毒であることも理解しているから、
その真相には迷うことなく簡単にたどり着けた――そして、胸に救う悪戯心にも。

「なに見惚れてんだ?」
「うぇ、あの、その」
「……お前、神サマの声聞こえなくされたい?」

その言葉に、天馬の体が跳ねる。南沢の言葉の意味が理解できないほどの子供ではない。
頬を赤く染め、ちいさく震える天馬の両頬を手で包み込む。

「ほら、舌出してみろ」
「で、できません……南沢さん、だめです」
「だめじゃないだろ? こういう時は目を閉じるもんだぜ」

言われて誰が素直に従えるだろう。
信じられないという思いを込め、目を白黒させながら近づいてくる南沢の顔を見やる。
返ってくるのはいつもの意地悪な感情の乗らない目線だけだったけれど。

「あ、だめっ、だめです、南沢さ――」
「さっさと仕事しやがれこの腐れ神主がああああッ!!」

天馬を救ったのは一匹の白蛇だった。
南沢の手の甲に牙を突き立てたそれは、骨も肉も残さず食い千切るべく歯を立てる。
流石に放置するわけにもいかず、南沢は天馬から手を離して、
そしてすかさず胸元に忍ばせていた札を蛇の頭頂部に叩き付けた。

「うぎゃああああああッ!!?」

その刹那、全身を貫く雷撃にも似た痛みに身を捩りだした蛇は、
やがて姿が保てなくなり、爆発のような衝撃と共にその身をヒトのそれに変えた。

「あつっ、熱いっ、うがああああっ」
「あああっ、倉間さん! 大丈夫ですか、今お札剥がしますから!」

身悶える銀髪の少年の脳天に貼りつけられた一枚の呪札をべりっと引っぺがす。
根本的な問題は解決されたものの、札に吸い取られた妖気はそうそう回復しない。
倉間、と呼ばれた妖は、ヒトの姿のままでがくがくと震えあがった。

「ほっとけほっとけ。っつーかお前、お前が巫女さんでそれが妖怪だって解ってんのか」
「お、前は、自分が神主だって自覚ねえだろうが!」

噛みつかれた手をひらひら振って血を乾かしながら、
南沢は涼しげな顔で倉間の指摘を受け流す。
天馬は呆れと諦めの入り混じった顔で札を握りしめる。

「もういいです、諦めてます……はあ」

溜め息を零せば、差し込む陽光を遮る様にふっと影が差した。

「天馬くんも大変だね、お仕事しない神主さんと一緒だと」
「だから言ってるだろ」

ばさりと舞い落ちる黒い羽根。その主たる二人組は、ほぼ同時に天馬の肩に手を置き――

「とっとと神社明け渡――みぎゃあああああああっ」
「うわあっ!?」

――瞬間、天馬と南沢両方に札を張り付けられて無力化した。
床を悶え転がる二人組に対し、倉間はひとり目を細める。

「また来たのか、鴉」
「鴉じゃねえよっ、俺は、天……ぐっ!?」
「鳥よけってCDぶら下げればいいんだっけか?」
「だから鳥じゃ、ねえっ……ぐぬぬぬぬ」

黒髪を結っている方の少年に、南沢が二枚三枚と札を追加していく。
その一方で、天馬もまたもう片方へ冷ややかな目を送っていた。

「あのですね優一さん。何度も言ったと思うんですけれど、背後に立たないで下さい」
「あ、はは……手厳しい、なあ。神主はともかく、そこの蛇には優しいのに……」
「倉間さんは妖怪ですけど家内安全の神様ですから」

言いながら天馬の手をとってきた妖怪をたしなめるように、もう一枚札を張り付ける。
鴉天狗の兄弟は放っておくとそれなりに面倒くさいので、天馬も容赦はしない。
弟の方だけなら何とかなるのだが、兄が相当厄介だった。

「ふふ……俺だって山の神だよ?」
「うあ、ちょっ」

札に妖力を吸われてもなお、たかだか中学生を押し倒すだけの力はあるらしい。
畳の床に組み敷かれた天馬は、懐に忍ばせた封魔の針に手を伸ばそうとして――

「野暮なことはしないで」

――その手を、あっさりとひとまとめに握られる。
見下ろす笑顔に、ぞくりと背筋が凍った。

「あ、待ってください、円堂さん、円堂さん助けてっ、俺まだ喰われたく――」
「……天馬に触れるなこの悪霊どもがあああああ!!」
「えっ」

絶叫、そして閃光。奔流とでも呼ぶべき清浄な光の波が室内を洗い流していく。
その後に残されているのは、南沢と天馬の二人だけだ。
後の妖怪たちは一時的にとは言え光の海に消し飛ばされてしまったらしい。
ようやく覚醒した南沢の金縁の目に映るのは、
牧師風の衣装に身を包んだコスプレイヤーにしか見えない少年だった。
名を神童・拓人。近所に立つ教会の一人息子である。
彼は握りしめたロザリオを天馬の両手にしっかりと握らせると、

「天馬……だから言っただろう、ちゃんとお守りを持っておけと」

ビターチョコレート色の目で、そう訴えた。

「気持ちは嬉しいんですけど、宗教が違いますから……
 って言うか今、神様まで消し飛ばされたような気がするんですけど……?」
「邪念しかない兄弟はともかく倉間は生き過ぎて俗っぽくなっちまってるからな。
 そこの坊ちゃんみたいな綺麗な力にゃ耐えられなくなってんだろ」

つらっと言ってのける南沢に、神童は絶対零度手前の冷ややかな目を送る。

「神主が妖怪を祓わなくてどうするんですか。天馬が穢れるところだったでしょう。
 あんな連中、貴方が気合い入れて蒸発させてくれれば問題ないんですよ」
「勧善懲悪のそっちの宗教と違って、こっちは持ちつ持たれつなんだよ。
 お前の宗教観と同列で白蛇や天狗を語られると困るな」

起きあがった南沢は、神童と天馬をべりりと引き剥がしてからふっと笑う。

「安心しろ。最終的に天馬を穢すのは俺の役目だから」
「あんたが真っ先に消し飛べ!!」

天馬の手からロザリオをひったくり、南沢の顔面にぶち当てる。
しかしながら南沢は純度100パーセントの人間なので、そんなことには動じなかった。
多少の物理ダメージはあるだろうがそれ以上の衝撃は発生しない。

「ああくそ、どうしてこんな邪念しかない奴が神主なんだ……
 どうして俺の神はこいつを蒸発させるだけの力をくれないんだ……」
「いつの世も一番恐ろしいのは人間って言うよな」
「南沢さん、何でもいいですからかっこつけてないで仕事して下さい。
 重ねて言いますけど例大祭前なんです、仕事は山盛りなんです」

天馬の目の光は、天狗の兄弟が現れた辺りからずっと冷え切っている。
嘆く神童も、涼しげな顔で笑う南沢も、もう何でも良かった。

『いやー、相変わらずうちの神社は大盛況だよなー!』

耳元で能天気にはしゃぐ守り神の声が、今は何より鬱陶しい。
客の半数が妖怪であることに早く気付いてほしい、と天馬はそう思った。



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