「兄さん、あまり根詰めない方がいいんじゃないか?」
「そんな訳には行かないさ」

垂らした汗を拭いながら、優一はふわりと笑う。
最近ことにいきいきとした表情を見せるようになった兄は、
毎日のリハビリにも今まで以上に精を出している。
その様子に、剣城は頑張り過ぎて暴発しがちなチームメイトの誰かを思い出して、
剣城は眉をしかめて溜め息をつく。

「……あいつも、いらない影響与えやがって」
「ふふ」

ぷいと顔を逸らした弟につられて、優一もまた窓の方へと視線を向けた。
すると眼下には、兄弟が揃って思い浮かべた少年が立っている。

「あれ、天馬くん……もう帰っちゃうのか?」
「あいつ、余計な気回しやがったな」

リハビリに熱中していたせいでほったらかしにしていたからだろう。
天馬にしては珍しく、特に挨拶もしないまま立ち去ってしまったらしい。
窓から身を乗り出せば、天馬がサッカーに興じる子供たちを見守っている図が見えた。
ここからは背中しか見えないが、きっと笑顔なのだろう。
それがなんとなく解って、優一は柔らかな笑顔に、剣城は少しだけむくれた。

「また天馬くん連れて来てくれよ」
「何であんな奴なんか……」

果たして連れて来たくない理由を察しているのかいないのか。
感情の読めない兄に居心地の悪さを覚え、視線を外した。その瞬間だった。
窓の外、眼下の天馬に、オレンジ色の髪をした少年が覆いかぶさったのは。

「天馬くん!?」
「松風ッ!?」

窓に貼りつく勢いで身を乗り出す兄弟を置き去りに、時間は進む。
押し倒すような形で倒れた少年は、まさに正常位の体勢で天馬と見つめ合う。
遠く離れた剣城たちに二人の会話は聞きとれない。
解るのは、そこそこの美形――自分の方が顔は良い、と兄弟は同じ事を思った――が、
天馬を押し倒して胸に顔を埋めたまま何かをやり取りしていることぐらいだ。
その場に崩れ落ちそうになるのを両手の力で耐える優一の目には、
愛しのあの子がどこの馬の骨とも知れない入院患者の毒牙にかかる光景しか映らない。

「きょ、京介っ、天馬くんが、天馬くんが病院前で犯される!!
 今すぐここから飛び降りて止めて来い!!」
「落ちついてくれ兄さん流石に俺でもここから飛び降りたら死ぬ!
 この部屋にボールは! ボールはないのか!!」

真っ先に凶器を捜しに行く時点で剣城も落ち着いてなどいない。
二人はここが病院内であることも忘れて大声を張り上げる。
完全に平静を失っている兄弟をそのままにして、
まるで夕日のように鮮やかな橙の髪色をした美形は天馬とのサッカーに興じ出す。
初めて会っただろう二人なのに、息は驚くほどに合っていた。
普段から近くで天馬のプレイを見ている剣城だからこそそれが良く解る。
二人の影が重なってから離れるまでの数分間、兄弟はピクリとも動けずにいた。

「…………」
「…………」

天馬と看護婦が何かを話し合っているのが見えるが、
そんなことはちっとも気になりはしなかった。
今気になっているのはあのオレンジ髪の少年の正体及び消息ぐらいだ。
どこの誰とも知れないのに、それより前からずっと知り合っていたというのに、
自分よりも濃厚なスキンシップを交わした恨みは浅くなかった。

「京介」
「……兄さん」

最早二人に笑顔はない。見つめ合う兄弟の目に光はなく、じっとりと淀む。

「病院内では絶ッッッ対に天馬くんから目を離すな」
「ああ」

力強く確かめ合う二人は、天馬が既に病院を後にしていることすら気付けていない。
今はあの少年がどこの誰なのかの方がよほど重要だった。



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