「逃げた方が面倒くさくなるなんて思わなかったんだ」

顔面蒼白でそう語る吹雪を、円堂と鬼道は首を傾げて見据えている。
光の無いダークブルーの眼に宿る鬱屈とした情念は、
部屋の空気ごと重苦しい何かに変えていくかのように禍々しく渦巻く。

「どうしたんだよ吹雪。うちに飯でも食いに来るか?」
「うん、気持ちだけありがとう。絶対行かない。とどめ刺されそう」

吹雪は目線を逸らしたまま、はあ……と大きなため息をつく。
肩を落とす親友の姿に、鬼道は広げていたファイルをぱたんと閉ざした。
何せ今の吹雪の瞳は、かつて彼が心神喪失状態にあった時と、
ほとんど同じような濁り方をしていたのだ。

「フィフスセクター以外の何から逃げているんだお前は」
「ん……可愛がってた後輩が居たんだけどさあ」

そこで吹雪の視線は斜め右下、丁度足元へと向かう。
可愛がっていた後輩――雪村・豹牙。
今はフィフスセクターの手に落ちてしまった白恋中の背番号10を背負う少年。
彼はいつだって自分をきらきらした瞳で見つめてきたが、
あの一件以降文字通り豹変してしまった。そう、例えるならば。

「なんか、知らない間に一時期の風丸くんたちみたくなってたんだよね。
 あったじゃん、ダークエンペラーズ」

瞬間、円堂の笑顔は凍りつき、鬼道の手からはファイルが滑り落ちた。

――ダークエンペラーズ。

それはエイリア石の力に魅入られた、風丸たちが名乗ったチーム名。
当事者および関係者全員が忘れたいと心から願っている、
雷門イレブン史上もっとも黒歴史と呼ぶにふさわしいチームである。
加害者とっては枕に顔を埋めたままごろごろのた打ち回るレベルで恥ずかしい思い出。
被害者にとってはかつての仲間に裏切られるというトラウマ寸前の記憶。
お互いに受けた傷が大きかったので、以後誰も語ろうとしていない。

「風丸くんたちっていうか主に、いやほぼ完全に風丸くんかなあ。
 なんかこう……本当、僕の意図しない所で、勝手に痴情がもつれて逆恨まれててさ」

そう漏らした吹雪は、疲労と心労でぐったりしたまま椅子に潰れている。
円堂たちも円堂たちで、目が疾風級のスピードで濁っていた。
脳内にリフレインするのはあの名状しがたい宇宙的な仲間たちの姿と、
当時の彼らがひたすらに喚いていた「エイリア石マジすげえ」という叫びだ。
お互いに無かったことにしていた記憶の蓋をどけて、
大人になった今、目を伏せてあの惨劇を思い返してみる。
結果は、やはり痛々しかった。

「良い子なんだけどね……どうしてああなっちゃったんだろうね……」
「状況はよく解らんが心境だけは伝わった……今晩飲みに行くか?」
「飲みだと夏未に怒られるからパス。うちで飯食おうぜ」
「うん、円堂くんは僕らを巻き添えにしたいだけだよね」

賞味期限が切れた魚のように白く濁ったコーチと監督たちは、
フィールドでボールを追いかける選手たちの輝きで荒んだ心を癒すべく、
ただただグラウンドに視線を送っていた。

「キャバクラ行くか?」
「あー……その単語は円堂くんの口からだけは聞きたくなかったなー、なんてね」

吹雪の目だけは暗く濁ったまま光が戻らない。



後日。

「何で朝帰りなんかしてんだよ! 俺以外の男と夜遊びするなんて酷過ぎるだろ!
 いくら相手が既婚者とシスコンだからって油断してんじゃねえよ!!
 やっぱりアンタは俺を裏切ったんだな!! 俺の気も知らないで他の男t」

朝一番にかかってきた電話は何も聞かずに叩き切った。
何故昨晩の自分の行動を知っているのか、
それを突っ込む余裕があるほど吹雪の心身に健全さは残っていなかった。
そもそも、教え子に携帯電話番号を教えた記憶すらないのは気のせいだろうか。

「……これ風丸くんかな。もっと面倒な何かに進化してないかな」

今吹雪は、携帯電話を握り潰すか否かを本気で悩んでいる。



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