南沢は、腕に抱いた自分より一回り小さな少年の肩口に鼻先を埋めたまま、
身動ぎもせずにただただずっとその温もりに甘えていた。
抱き締められた少年・松風天馬は、そんな南沢の様子に首を傾げながらも、
さして抵抗はないまま、抱き寄せられた彼の背をぽんぽんと撫でている。
本来なら逆であるべきだが、まるで泣いている子どもをあやしているような気分だった。

「南沢先輩」

ぎゅっと抱き締められる感触は、暖かいけれど少しばかり窮屈だ。
嫌がっている風にはとられない程度に身を揺すって、天馬はそれを伝えようとする。

「何だよ。暴れるな」

けれど南沢はそれに構わず、もっと、もっとと強請るように小さな体を掻き抱く。
成長途中の少年の体は柔らかくも何ともなく、むしろ骨っぽい質感ばかりを伝えてきたが、
それでも天馬は南沢の腕に馴染むようにすっぽりと覆われてしまった。

「……どうしたんですか、急に」
「こうしちゃ駄目か」
「別に駄目じゃないですけど、変だなとは思います」
「素直すぎんのもどうかと思うよ、お前」

南沢はハッと乾いた笑い声を出して、天馬の胸元に額を寄せた。
これでもう、天馬には南沢の顔は見えない。どんな表情でそうしているのかを知る術がない。

「目が覚めたんだ」

筋肉がしっかりとついた、少年から青年へ変わりつつあるしなやかな腕が、
縋るようにして天馬のちいさな背中に回される。
自分よりも年も体も大きな南沢がそうしてくるのが、天馬には不思議で仕方なかった。
けれど、その暖かさは不快ではなく、寧ろうっとりするような安らぎすら感じる。
天馬は温もりに蕩けていく目を細めて、南沢の腕に縋った。

「なぁ、俺、お前に何ができんのかな」
「なんにもしなくていいですよ?」
「させろよ。お前に何かしたいんだ」

何を返せるかも解らないのに、と一人ごちた声は、天馬の耳に入ることなく床に落ちる。
その呟きを拾い上げるのでもなく、天馬はただ無邪気に微笑んだ。

「じゃあ、サッカーしましょうよ」
「そればっかりだな、お前」

くつくつと喉を鳴らして笑いながら、南沢が顔を上げる。

「だから、気付けたんだろうな」

南沢はごく自然な動作で、天馬の額に唇を寄せた。
思わず頬が朱に染まる。その様子を、南沢は慈しむような目で見つめてくる。
砂糖を煮詰めているかのようにとことん甘やかされて、
天馬は目を白黒させながらにやつく南沢の顔を見上げた。

「せ、先輩、今」
「もう一回するか?」
「えっ、えあ、あ……」

答えを口にするよりも早く、もう一度額にキスが落ちてくる。
有無を言わさない強引なキスではなく愛でることだけを目的としたそれは、
天馬にとって慣れないものなので、ただひたすらに恥ずかしかった。

「先輩、すごい、恥ずかしいんですけど」
「……こういうの、俺、全然してやらなかったからな」

少しだけ寂しげに笑いながら、南沢は天馬の頭を軽く撫でてやる。

「お前って神様かなんかなの?」
「人間です」
「じゃあ天使だな」
「俺の話をちゃんと聞いて下さい」

茶化すような前後の繋がらない話を、天馬はそれでも繋ぎ合わせようと抗議する。
それすら今の南沢には嬉しくて仕方なかった。
自分が諦めてきたものも、どうでもいいと流してきたものも、
天馬は何一つ見落とさずに拾い上げてくれるから、心が自然に弾む。
前は鬱陶しいと思っていたし、目障りだとも思っていたのに、
一度自分が何を望んでいたかを思い知った後は愛しくて仕方がなかった。
胸を満たす幸福感に翻弄されるまま、南沢は天馬をひん抱く。

「ちゃんと大事にするから。お前も、サッカーも、全部」

まるで、そこにあることを確かめるような、今日何度目か解らない抱擁。
天馬にはそれを振りほどくことはできなかった。
とにかく、南沢が自分に優しいのがどうしようもなく心地良いのだ。

「ありがとう、天馬」

そして、このひとが自分の名前を愛しげに呼ぶのも嬉しかった。



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