「久しぶりにゆっくり、ですね」
「だな」

天馬が練習後に神童家の門を潜るのは実に数週間ぶりのことだった。
ホーリーロード本戦が近づくにつれて自然と二人の時間はサッカーに充てられることになり、
共に過ごしているにはいるが甘ったるい空気は何もない日々が続いていたからだ。

「久しぶりに、二人きり、です……ね」

自分が普段就寝しているものとはゼロの数が二つ三つ違いそうなベッドの上に腰を落ち着け、
天馬は桜色のコンタクトでもはめ込んだようにぽーっと熱っぽい目を神童に送る。
くすくすと苦笑しながら、神童はそんな天馬の頭をぽんぽんと撫でた。

「自分で言って照れてたら世話ないぞ」
「だ、だって、キャプテンが近いからっ」
「そうか。なら――」

眼前に、暗く輝くブラックトルマリンの瞳が迫る。
抱き締められたのだと悟った時には、自らの首筋に神童の鼻先が押し当てられていた。
指通しの良さそうな、ダークグレーの柔らかい髪が頬を撫でる。

「ここまで近付いたら、お前はどうするんだ」

低い声でそう囁かれて、天馬はびくりと体を震わせた。
その震えすら強く掻き抱かれて、一カ所でも離れることのないように神童へ縫い止められる。
逃がす気はないと、両腕の拘束が雄弁に語っていた。
――神童の目が仄暗く輝いたことなど、天馬には見えていない。

「……こうします」

天馬の腕が神童の背中に回る。そして神童がそうしていたように、すり……と頬擦りする。
神童の体温と匂いが、天馬の胸をふわふわした何かで満たしていく。
まだ幼い天馬はその感情に「愛しさ」という名前が付けられないでいるから、
ただただ熱に浮かされるような高揚感だけを味わっていた。
一方で神童は、天馬から回された腕の強さにどうしようもないぐらいの慕情を募らせている。
目に宿っていた剣呑な光は幾分か穏やかになって、陶酔に近い蕩け方をしていた。

「てん、ま」

自然と瞼が堕ちる。目を伏せて、顎を天馬の肩口に乗せたまま深呼吸する。
だんだん体重が掛かってくるのを感じて、天馬は違和感を覚えた。

「キャプテン」
「…………」
「キャプテン?」

ぽんぽん、と背中を軽く叩いてやると、神童ははっとして体を離した。
目は丸く見開いたままで、表情もどこか引き攣っている。

「ど、どうした、天――」
「眠いんですか?」

神童からの答えはなかった。それに、答えがなくてもだいたい天馬は察していた。

(練習はハードだし、勉強だってあるし。疲れてるんだろうな)

そのぐらいの推察ができる程度には空気が読めている。
けれど、ここで帰るのは癪だった。何せ、久しぶりに二人きりになれたのだ。
神童も神童で寝落ちたくはないので、何度も首を横に振って睡魔から逃れようとしていた。

「キャプテン」
「大丈夫だ。寝てない。俺は寝てないからな、天馬」
「あの、嫌だったらいいんですけど……」

ぽんぽん、と、天馬が自分の太腿を叩く。
天馬のアクアマリン色の目と、足を見つめながら、神童が首を傾げた。

「硬いとは思うんですけど、もし、よかったら、膝枕とかどうかなって……」
「え」
「いえあの、嫌なら全然いいんです。変なこと言ってごめんなさ――」

言ってから気恥ずかしくなって、天馬は誤魔化すようにぶんぶん両手を振った。
けれど神童はその先を言わせなかった。ぽふり、と。天馬の膝に後頭部を乗せる。

「……五分たったら、起こしてくれ」

優しくこちらを見上げてくる瞳に対して、天馬はただこくこくと頷くことしかできなかった。
膝の上にかかる重さを心地よく思う。このひとが、自分の膝上に頭を預けたのが酷く嬉しい。
恐る恐る手を伸ばして、肩まで伸びた緩やかなウェーブを描く髪に触れる。
髪の束を一房掬って指に絡めてみたが、しゅるりと外れていってしまった。
神童はそれを最初は愛しげに見つめていたが、やがてその目は完全に閉ざされて、
いつしかすうすうと穏やかな寝息が聞こえるようになってきた。

(俺が最初にこの部屋に来た時、貴方との間には凄く分厚い壁があったけど。
 今はこんなに近づけて、キャプテンは俺に寝顔まで晒してくれる)

胸が何か暖かな物でいっぱいになるのを感じながら、
天馬はいつまでも神童の髪に指を通してぼんやりと思い耽る。

(これってきっと、しあわせって、言うのかな)

五分で起こせ、と言われてはいるが、きっとこのまま自分は十分でも何十分でも、
こうやって神童の寝顔を見つめているのだろうと思った。

「すき、です」

神童は目覚めないけれど、呟くだけでなんだか幸せな気分に浸れた。
それはそれでいいか……なんて考えて、天馬はくすくすと笑った。



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