「天馬」

神童の声色は、その少女の名を紡ぐ瞬間だけ甘く柔らかくなる。
声に気付いた少女が振り返ったときには、ダークブラウンの瞳に淡い光が宿る。

「キャプテンっ」

微笑み返される度に、鼓動はどくどくと早鐘を打つ。
神童はその時だけ、まるで二人の世界に閉じこもったかのような顔をする。
そんな二人の様相を、他の部員たちは悲喜交々に見守っていた。

「天馬も鈍いよなぁ」
「カマトトぶってるんじゃないですかー……って、何で踏むんですか倉間くん!?」
「別に」

速水の足をぐりぐりと踏み潰している倉間をよそに、浜野はさらに二人の様子を伺う。
天馬が浮かべるのは、清々しいまでに他意のない、
こちらに向けられるのと全くもって変わりない混じりっけない友情の笑顔。
それでも嬉しいらしくて、神童はぽーっと陶酔しきったような目をしていた。

「あそこで照れるんじゃなくて恍惚とするから危ないんだよね神童」

浜野の発言には遠慮も容赦もないので、思ったことがそのまま口に出る。

「あれさえなければ応援してあげてもいいんですけどね」
「今は応援どころか通報のタイミング伺ってるからな」

部員たちは、いつの日か神童がストーカー行為に及ばないかを一番心配している。
二人がうまくいくかどうかは割とどうでもよく、
そう遠くない未来に身内から犯罪者が出る不安しか感じていない。

「ほら、リボンが曲がってるぞ」
「あ……ありがとうございます」

恭しく胸元のリボンの傾きを修正する様は確かに美しい。
しかし、神童が常にうっとりした目線を向けているのが不穏だった。
ギャラリー側としては真っ先に天馬の貞操の心配をしたくなる。
何せあのリボン直しは一日で平均三回は行われるイベントなのだ。

「触りたいんでしょうねえ」
「南沢さんがやったら即通報なんだけどな」
「あの人ならリボン直しただけでも妊娠余裕じゃね?」

南沢にも神童にも失礼な発言をしていることは三人の意識にはない。
だからけらけらと悪意の入り混じった笑い声を上げながら、
あくまで遠巻きに喧騒を見守っていた。
神童も天馬も、割と二人の世界に入りがちなのでその騒ぎに気づきはしない。

「……そうそう、二人の世界なんだよねえ何だかんだで」
「やっぱり、あれはあれでお似合いなんじゃ……だから足踏まないでくださいよ!?」
「なんとなく」
「あはは」

笑う浜野は、自分たちが神童を応援しきれない理由をなんとなく察している。
きっと本人は燻っている何かになんて気付いていないだろうし、
自分だって確信がないから、表立って囃したてることなんてできやしない。
だから倉間と視線が合っても、曖昧に笑うだけでそれを口に出しはしなかった。



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