三国太一は絶句していた。
理由は至って簡単で、隣に座っている我らがキャプテン・神童拓人が、
顔面蒼白でジャージの左胸あたりを握り締めながらぷるぷる震えているからだ。
本来の三国ならここは「気分が悪いのか」と声をかけるところだが、そうはできなかった。

「ねーねー、つーるーぎー」
「剣城剣城剣城ー」
「……何だようるっせえな!」

遥か後方から聞こえてくる無邪気な声。本日見事にゴールを決めた一年生たちの声だ。
以前も信助と天馬の声はよくバス中に響いていて場を和ませていたが、
今日はそこに剣城も参加していた。漸く心を開いた証明ということだろうか。
それ自体は嬉しいことなのだが――それだけとはいかないようだ。

「だからさぁ、一番最初に会ったときは『サッカーしようぜ天馬』って言ってくれただろ。
 でも試合中は松風って呼んだから、もう天馬って呼んでくれないのかなーって思って」
「なっ」

その声が聞こえた瞬間に、隣の神童が「ふうう」と苦しそうな声をあげて胃を抑える。
神童と剣城は、天馬に対し恋愛感情を含んだ――いやほぼ恋慕で構成された好意を抱いている。
先程から神童が苦しんでいるのはこれが原因だった。
好きな相手が恋敵に、「名前で呼んで」と縋る声を聞かされているからだ。
天馬にその気は全くないのだが、神童と剣城にとっては言葉の響く意味が違う。
だから剣城の声は上擦っているし、神童は今にも死にそうな様相になる。

「剣城ー」
「……」
「つーるーぎー」
「だからうるせえっつってんだろ!? そもそも西園は関係ねーじゃねーか!!」

ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる一年生たちの声を聞き流しながら、
三国は隣の神童へかける言葉を見つけられないまま凍り付いていた。
何か言ってやらなければならないのは解るが、何を言えばいいのかが解らない。
不用意に何か変なスイッチを押したくはないのだ。

「三国さん」
「な、なんだっ」

裏返った声で返事をした。情けないとかはこの際気にならない。純粋に、神童が怖い。

「一年生が可愛いんです。見てると凄く和むんです。
 剣城が仲間になってくれて嬉しいんです、やっとチームが一つになったんですよね」
「あ、ああ、そうだな」
「でも」

神童の目から光が抜け落ちて、まるで夜の闇だけを閉じ込めたように暗く沈む。

「その反面、剣城のことは八つ裂きにしてやりたいぐらい憎いんです。
 俺の……俺だけの天馬を、誑かすから」

真顔でそう言い放たれて、三国は固まった。
八つ裂きにしたいのは、冗談でも何でもなく心からの思いなのだろう。目が本気だ。
つや消し処理された瞳が完全に据わっているから、三国はもう何も言えなかった。

「三国さん、知ってますか。嫉妬って、行き過ぎると吐き気に変わるみたいです……」

その情報はこの場の誰もが望んでいない。
顔面蒼白でかつ瞳孔が開き切った神童の笑顔に、三国は戦慄する。

「誰か!! 誰か俺と席変わってくれ!! もしくは補助席出してくれ!!!」

耐えきれずに三国が悲鳴をあげるものの、この場に居る者のうち、
一年生男子は三人で騒いでいたせいで三国の悲鳴に気付いてすらいない。
さらに他の者たちは全員できることなら神童に関わりたくないと思っているし、
同時に「一人にして思い詰められても困る」とも思っているので、
三国の心からの叫びを相手にしてくれる者は残念ながら一人も居やしなかった。



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