「そういえば、『まつかぜてんま』って漢字でどう書くんだい?」
「ええとですねー、松は松の松です」

それ結局何の松か解らねえだろ。
剣城は呆れ半分で天馬の要領を得ない解説を聞き流し、心の中でだけ突っ込みを打つ。
口に出した瞬間に「意地悪は良くないよ」と理不尽なお説教を食らうからだ。
いつの間にやら仲良くなってしまった兄とチームメイトを見比べながら、はあと溜め息をつく。
認めたくはないが、それなりに和んでいた。
好きな人と大事な家族が仲良くしている分には、全くもって悪い気がしない。

「んー……ちょ、ちょっとここに書いてもらえるかな」
「あ、はーい」

剣城が意識を飛ばしている間に、優一の笑みは若干引き攣っていた。
がさごそと紙とペンを用意すると、ついと天馬に差し出して記述での解説を求める。
流石の優一でも「松が松の松」を理解するのには無理があったようだ。
天馬にも自覚があるのだろう。苦笑半分に、示された場所へ自分の名前を書いていく。

「振り仮名も上に書いて貰える? ほら、振り仮名欄があるだろ?」
「はい」

壁に寄りかかって聞き役に徹していた剣城の眉がぴくりと動く。

(……は? 振り仮名欄がある?)

天馬は特に疑問を覚えていないのか、指示されるまま手を動かしている。
ひょいと紙を覗き込んで、剣城はぴしりと硬直した。

「最後にここに印鑑押してくれるかな」
「はー……え? 印鑑?」

漸く違和感を察知したらしい天馬の動きが止まり、兄弟の顔を交互に見比べる。
そして真顔で優一を見据え、震える指先を用紙の一部に添えて問いただす。

「あの、この紙に『婚姻届』って書いてあるように見えるのって俺の気のせいですか」
「あ、ばれちゃったかー」
「ばれちゃったかーじゃないだろ!?」

天馬より早くその三文字を見つけていた剣城が用紙をひったくり、丸めて優一の頭を打つ。
スパーンと小気味いい音が鳴って、笑顔を一刀両断にした。

「うーん……俺なりに気をきかせたつもりだったんだけどなあ」

優一が頭をさすりながら首を傾げるが、天馬と剣城は全く笑っていない。
剣城は怒りの原因である婚姻届をばんとテーブルに叩きつけ、叫ぶ。

「どこにどう気を遣ったらこうなるんだ!?」
「もちろん、京介と天馬くんに気を遣った結果なんだけど」
「じゃあ!」

再度テーブルを叩く。そして、白い指で一点を差す。
そこにはすでに剣城の名前が振り仮名を含めて書いてあり、また印鑑も押してあった。

「なんでここに兄さんの名前が書いてあるんだよ!?」

――ただ、剣城は剣城でも剣城優一の名前だが。
天馬から表情が消えて、氷点下レベルまで冷え込んだ視線を優一に送る。
それでも優一は全く気にせず、少しだけ困ったように笑うだけだった。

「ああ、間違えちゃったね」
「どこをどう間違えたら――」
「男同士なら婚姻届じゃなくて、養子縁組にしないと役所通らないか」
「いやそこじゃねえよ!?」

今度は用紙をパイ投げの要領で顔面に叩きつけた。スパーンと乾いた音が病室に響く。
優一が口を開くたびに疾風級のスピードで天馬がどん引いているが構っていられない。
(早く黙ってくれないかなこの人)と、普段なら絶対に思わないような考えが頭を支配する。
何せこれだけ全力で怒っても優一はよく解っていない体で微笑むだけなのだ。
最早狂気を感じる、と天馬はぷるぷる震えている。

「ほら、京介がもたもたしてるならこうして外堀埋めた方がいいなって思って。
 という訳で天馬くん、京介をよろしくね」

何をどうよろしくされたのか全く分からない、というか解りたくない。
話の脈絡すら全く繋がっていないので、天馬にできるのは目を逸らすことぐらいだった。

「ねえ、剣城のお兄さんって足が悪くて入院してるんだよね? 悪いの、頭じゃないよね?」

深海よりも濁ったサファイアの目をした天馬の言葉は相当失礼な物だったが、
剣城には否定しきれない程度に的確な突っ込みだった。
くらくらと眩暈がするのを感じながら、剣城は床に落ちた婚姻届を拾い上げた。
そのままにしておくと優一が善意で悪用するのが目に見えているので、
自分の目の届く位置に回収しておくほかないのだ。

「あ、京介との本番はここで書いてもいいんだよ天馬くん。
 予備の用紙もいっぱいあるからね……どうだい京介、兄さんは気が利くだろう?」
「兄さんが利かせてるのは気じゃなくて邪念だあああああ!!」

ここが病院だということも忘れて剣城は絶叫して、拾ったばかりの婚姻届を丸めて振り下ろす。
本日三度目のスパーンと響く打撃音を、天馬は顔面蒼白で聞き流した。



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