※天馬くんだけ性転換



天馬は右へ左へと視線を彷徨わせながらベンチからフィールドを眺めていた。
ジャージには一応着替えているが、やることも見当たらないので本当に座っているだけだ。
別に負傷している訳でも具合が悪い訳でもないが、天馬はベンチに縛り付けられていた。
何故なら今の天馬にはサッカーをする資格がないからだ。

「よし、次! 各ポジションに別れてパス練習だ!」

そう叫ぶ我らがキャプテン、神童拓人の澄んだ声がフィールド一面に響く。
軽くターンしてみせた瞬間に目が合って、優しく微笑まれる。
美形にいきなり微笑まれて、天馬は頬が急激に熱くなるのを感じた。

(な、なんなんだろうこれ。何でこんな夢見てるんだろう)

天馬は心の中でだけ悲鳴をあげてぶんぶん首を振った。
何故かは解らないが、朝起きたらこうだった。
秋兄さんは秋姉さんになっていて、葵の身長が縮んだ上にスカートをはいていた。
信助は学ラン姿だったし、ノックなしでロッカーに入ったら慌てた倉間に叩き出された。
現れた円堂監督は爆乳でなくなった代わりに全身ががっしりとしていた。
サッカーは男子がするもので、天馬はただのマネージャーだった。
要するに、自分以外の性別が全て反転していたのだ。

(夢には願望が出るって言うけど、この場合私は何を望んでいるんだろう)

ぱっと見た際に一番分かりやすい違いは、南沢がフィールドにいる事だった。
自分が雷門イレブンとして数えられていない代わりに、南沢が辞めずに残っている。
ただ、その南沢もまた美少年へと変貌していたが。

(南沢先輩に辞めて欲しくなかったのは確かだけど)

わざわざ「南沢先輩がイケメンだったらいいな」とまで望んだ覚えはない。
天馬は異常事態に頭がついていかず、混乱したまま熱っぽい目線を南沢に送っていた。
しかしながら、余りにも注視し過ぎていたのだろうか。
その南沢から見つめ返されている事に気付くまでに、天馬はワンテンポ遅れをとっていた。
目と目が合う。視線が絡み合う。その瞬間に、南沢がばちんとウィンクした。

(うわああああウィンクされた、南沢先輩だって解ってるのに、南沢先輩だって知ってるのに!)

それでも天馬の鼓動は早鐘を打ち、顔は赤くなり、呼吸は苦しくなった。
年上の男性、それも美形からのウィンクなど全く免疫がないので、
幼気な女子中学生の思考回路は熱で焼き切られる寸前だった。
一度そう意識すると止まらなくなってしまって、天馬はぷいと目を逸らした。
それからちらりと南沢を見るとくすくす笑われていて、からかわれただけなのだと悟る。

(ああ、でもこの世界だったら南沢先輩は私のことからかってくるぐらい打ち解けてるんだ。
 私がサッカーしなかったら、南沢先輩はまだサッカー部に居てくれるんだ)

同時に気付きたくなかったことにも気付いてしまい、一気に気分が急降下した。
これはもしも天馬まで男になっていたなら気付かなかっただろう事だった。
途端にサッカー以外へと向ける目がなくなるからだ。

「……気分悪いのか?」
「え、わあっ」

首筋に冷えた何かが押し当てられて、天馬が悲鳴をあげる。

(冷たいってことは夢じゃな――最近の夢は温度も解るのかな)

夢に最近も今も関係はない。が、そう思いたくて仕方がなかった。
この超次元美形空間は心臓に悪すぎる。そう思いながら目線を上げて、天馬は硬直した。
視線の先には、雪のように白い肌とは対照的な闇色の髪をポニーテールに束ねた、これまた美形。
その美少年がドリンクを片手に、心配そうにこちらを見つめている。

「聞いてんのかよ」

ぶっきらぼうではあるが優しい声色に天馬は確信する。

(剣城だ! これ剣城だ、剣城もちゃんと居るんだこの世界!!)

ただし例に漏れず剣城もまた男である。
身長も前よりずっと高いし、全体的に筋肉質だった。すらりと伸びた足もそうだ。
視線がふらふらしている事に気付いた剣城が、その場に屈んで目線を合わせてくる。

「おい、ほんとに大丈夫か?」

切れ長の目が動揺する天馬の顔を覗き込んできたので、どくりと心臓が跳ねた。
幼い頃からの付き合いである秋と葵は別カウントにするとしても、
男子にここまで顔を近付けられたことはないので、天馬の心臓はばくばく荒い鼓動を打つ。
だから天馬は気付かない。
それと真逆、全く光がないダークブラウンの目をした少年が近づいていることに。
お互いに混乱している二人には、横から近付いてくるもう一人に気付けなかった。

「天馬」

気付いたのは、天馬の体が重力から解放され、ふわりと浮き上がってからだ。
地面が遠い。そして、膝の下と首の下を通る、第三者の腕。
天馬が恐る恐る目線を上げると、つや消し処理されたビターチョコレート色の目とかち合った。

「保健室に行こう」

先程から遠巻きには見ていた神童の顔がかなり近いところにある。
そこで漸く神童に姫抱きにされ、見つめ合っている状態なのだと知った。

「うわああああっ!?」

暴れようとするが、両腕でがっちりとホールドされているので身動きができない。
寧ろ強く強く引き寄せられてしまい、より密着する形になる。
触れている場所が熱い。そこから広がるように、侵食するように熱が広がっている。

「あ、ああああのそのっ、キャプテン」

離して下さい、と大丈夫ですから、が一緒くたになった視線で見上げてみると、
うっとり陶酔しきった目で見つめ返され、優しげな笑みで黙殺された。

「熱中症かもしれないし」
「うあ、あのっ」
「大丈夫だ」

神童の様子が異常なので、天馬はときめきと寒気を同時に発症した。
美形に抱き締められている事への興奮と神童への純粋な恐怖は半々ぐらいだった。
今具合が悪くなるとしたら理由の三割ぐらいは「貞操の危機を感じた」で説明できる。

「お、お前何してんだよ!!」
「天馬が具合悪そうだから、このまま保健室に行こうと思って抱き上げた」

すり、とぬいぐるみにでもするように神童が頬を寄せる。「わひゃあ」と変な声が出た。

「……キャプテンじゃないと駄目だって。キャプテンとしたいって、言ったもんな」
「それサッカーの話です!!」

叫びながら、(えええええ私この世界でもあんなこと言ったの)と頭を抱えたくなる。
何を思ってそんな事を言ったのかが今の天馬には一番の疑問だった。完全に告白だ。
もし元の自分がそうしたように、神童の家まで上がってそれを言ったとしたら軽率すぎる。
それだけ思わせぶりなことを言ったのだとしたら、今の神童の行動も納得できるような気がした。
気がしただけで納得はしていないが。

「モテモテで困っちゃうねー、天馬」
「助けてよ! 見てないで助けてよ!?」

完全に傍観ムードの葵に助けを求めるが無駄なのも目に見えていた。
剣城と神童以外の全員が休憩ムードに入っているので、アテにできる人が誰も居ない。

(ダメだこの夢はダメだ、早く醒めないと)

そう願うが目が覚める気配は全くといっていいほどなかった。
目を閉じると神童が嬉しそうに頬を擦り寄せてくるので、絶対に目を伏せる訳にはいかない。
この時点で恐怖はときめきを上回った。貞操の危機に対し、天馬はかなり過敏になっている。

(このひと見た目に反して手出すのが早すぎる! パッと見草食系なのに完全に肉食系だ!!)

俗っぽい感傷に浸る天馬の目は電源が落ちた液晶ディスプレイのように暗い。

「……動くなよ」
「え」

いつしか剣城の背後には、剣を携えた巨人が現れていた。
良かった化身は性別そのままなんだ。
あまりにも異常事態が続くので、天馬はそんなどうでもいいところにすら喜びを見出した。

「そいつだけ、殺す」

剣城の唇が「ロストエンジェル」の形を描いて、強張る。
そんな器用なことができる訳がない、と突っ込むだけの時間はなかった。
それより早く訪れる閃光と衝撃。結果、天馬は否応なく意識を手放した。



「……天馬?」

朝だよ、と起こしにきた秋に暫く天馬がしがみついて離れなかったのと、
詳細理由不明のまま三日ほど天馬に避けられ続け、神童の枕が涙で濡れるのはまた別の話――



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