※私の14話感想は「後半15分倉間くんどこいたの」に注力されています
<その一、速浜と一緒だった場合>
「だったら、いいんじゃね」
ふわりと風が吹き、水面をわずかに揺らす。浮きが揺れて、ちゃぷりと音を立てた。
速水は何も言えないでいる。
浜野のように、前向きに勝利に向かえたらいいとは思う。
けれど、捨て身にはなれない。籠の中の鳥でいる事に慣れていたからだ。
与えられるものだけを従順に受け入れていられるなら、
ぬるま湯の中に浸かって心地いい物だけを浴びることができるなら、
それはそれでいいと思ってしまう。
結局のところ心が弱いので、速水は一年生たちを直視することもできていない。
「お前ら、何葬式ムードになってんだよ」
降ってきた声に顔を上げると、そこには倉間が缶ジュースを片手にこちらを見下ろしていた。
首筋に冷えた缶を押しあてられて、うぎゃあと変な悲鳴が上がる。
倉間は速水の反応を完全に無視して、ぽいと缶を浜野に投げ渡した。
「遅かったじゃん」
「お前がグレープじゃないと駄目だって言うからだろ。
おかげでそこのコンビニまで行く羽目になったっつーの」
「へへへ……わぶっ」
パキュ、と缶を開けたと同時、勢いよく炭酸が噴き出す。
グレープ味のそれを顔面に浴びた浜野が、キッと倉間を睨みつけた。
「これはちょっとないんじゃね?」
渡す前に振っていただろ、という抗議が言外に込められている。
「このクソ暑い中、人をパシリに使ってくれた礼をしただけだよ」
倉間はそう言って、浜野の横に立つ。
目線の先にあるのは、何の反応も示していない釣り竿。
「あんだけデカい口叩いておいて、一匹も釣れてねえのかよ」
「んー……」
浜野はへらりと笑って、速水と、倉間とを一瞥する。
「なんとかなるって」
それは先程浜野が「乗っかってもいいかなって思う」と述べた一年生の口癖で、
解っているからこそ速水と困ったような顔をして、倉間は少しムッとした。
自分だってそう思い始めているから、他人にそれを言われるとくすぐったいのだ。
<その二、南沢さんに会いに行っていた場合>
「俺たち、本当の勝利を目指そうって、思ったんです」
突然呼びだされたかと思えば、倉間はそんな事を言い出した。
「神童も、三国先輩も、ムカつくけど一年の奴らも、ボロボロになっても走ってたんです。
見ているだけじゃ嫌だった。辛かった。苦しかった。
俺だって勝ちたい、どんなことになったって、勝利を目指したいって、思ったんです」
「で? お前は楽しい楽しいサッカーの話をして、俺にどうしろって言うんだよ」
要領を得ない倉間の話にいい加減痺れを切らした南沢が、
感情を込めない冷たい口ぶりでそう言い放つ。
それでも倉間は怯まなかった。怯まずに、まっすぐに見つめ返して答えた。
「戻ってきてほしいと思っています」
はっ、と南沢は鼻で笑う。
「くだらないな。そんなことのために呼びだしたのか」
「サッカーに嘘は吐きたくないんです」
そう言ったのは自分ではなくてムカつくと先程称した後輩だが、
思う事は一字一句同じだからこそ言葉を借りてそう言い返した。
あれだけ冷たい事を言おうと突き離そうと思う事は同じで、
ただサッカーが好きでサッカーがしたいだけなのだ。
「俺も、アイツも……みんなで勝ちたいって、思ってます」
南沢は答えない。
(アイツ、ね)
何時の間に仲良くなったんだか、と肩をすくめる。
アイツが誰を指しているのかを一瞬で理解していることに対して、
突っ込みを入れる人はこの場に誰もいない。
「そのみんなに、勝手に俺を巻き込んでるってことか」
ぷいと背中を向けて、南沢は歩き出した。
構っていられない。そう判断したからだ。
「勝手に、って……」
「サッカーなんて」
立ち止まって、一言だけ呟いた。
「俺には辛いだけだったよ」
後輩たちのようにまっすぐに好きな事に向き合えないし、
せめてあと一年早くこの風が吹いてくれればよかった、と思っているからこそ、
南沢はそう言うことしかできず、また立ち去るしかなかった。
<その三、恥ずかしくって出ていけませんでした>
やばい完全に出ていくタイミング逃がした。
倉間は顔面から冷や汗を垂れ流しながらそんな事を考えている。
思わず木の陰に隠れて様子を伺うと、そこでは和やかに談笑する先輩と後輩が居た。
天馬と信助が河川敷で特訓をするという話はぼんやりと聞いていた。
いや、着替え中にわーわー大声で叫んでいたので耳に入らないはずもなかった。
(あの二人だけで練習したって大した成果は上がらないだろうしな)
あくまで勝利のため、チームの実力を上げるためにだと自分に言い聞かせて、
倉間は朝早くにウォーミングアップを済ませて河川敷へと足を運んだ。
丁度そこでは技の完成に二人が喜びの声をあげていて、
何かしらの声をかけようとした瞬間に三国たちに先を越され、冒頭に戻る。
和気あいあいと特訓に精を出す天馬たちを遠巻きに見つめながら、
倉間はどのタイミングで顔を出せばいいのかを必死に計算していた。
今だ、ああ駄目だ車田先輩に先を越された、よし今ならあーやっぱ駄目だ天馬が動いた。
そんな一人漫才を始めて、そろそろ三十分が経過しようとしている。
今まで散々ツンデレ街道を突っ走ってきてしまったせいで、
三十分をフルに使って思考を回転させても出ていくタイミング一つ探し出せない。
結果として木の陰から出ては隠れるを繰り返す不審者に成り下がっている。
「天馬ー! ランチタイムだよー!!」
背後から聞き慣れた少女の声がして、倉間はまた物陰に身を寄せた。
草葉の陰からこそこそと高台に目を向ければ、
そこにはランチボックスを片手にブンブン手を振るマネージャーと
見慣れない女性が天馬たちに向かって声をかけている姿が見える。
――もう駄目だこれ一生出ていけない。
下手に出て行っても、こそこそ帰るにしても恥ずかしすぎる。
前も後ろも塞がれてしまい、どうにも身動きができなくなってしまった倉間は、
結局全員が帰るまでその場からぴくりとも動けず、
これといって意味のない日曜日を過ごすこととなってしまった。
さらに後日更なる悲劇を倉間が襲う。
「あの、秋姉が言ってたんですけど、あの日倉間先輩も河川敷に来てたんですか?」
無邪気な笑顔で天馬がそう言ってきた瞬間倉間に出来たのは、
無言で鳩尾を殴りつけて呼吸ごと黙らせることだけだった。