無視して帰りたい。
部屋の隅で世界の終わりを待つように膝を抱える神童の姿を目の端で捉えながら、
この空間に残された二年生全員はそんなことを考えている。
垂れ流されている負のオーラの凄まじさに、速水などはすでに気を失いかけていた。
ただ、気を失う寸前に浜野や倉間が蹴り飛ばすので失神には至らない。
まぁ、無理もないのかもしれない。今回は理由が理由なのだ。

「えーっ、じゃあ毎日サスケと一緒に寝てるの?」
「うん……やっぱ変かな。ダメだって言ってるのに部屋に来ちゃうから、仕方なくなんだけど」

びくりと神童が震え上がる。速水は「うわあああ」と悲鳴をあげた後、倉間に蹴られた。
倉間としてはこの騒動を無視して逃げたいので、何かしらの反応をする者は須く敵なのだ。
なお、騒動とは天馬と信助が着替えながらしている話につられて、
神童の機嫌と顔色が疾風級のスピードで下降しているこの状況を指す。
よくは解らないが、天馬は同居人(名前はサスケ、推定男性)と、
毎日のように夜を共にしているらしい。
それも、駄目だと天馬は意思表示をしているのに強行突破で部屋を訪れて、だ。
更に言うと、仕方なしとはいえ天馬もそれを了承しているようだ。
天馬に大絶賛片想い中の神童に与えた衝撃は生半可な物ではないだろう。
可愛い後輩が夜な夜な見知らぬ男に添い寝しているなんて、最悪にもほどがある。
そして可愛い後輩も神童も男なので、性癖がノーマルな倉間の思考回路に与える影響も最悪だ。
考えたくもないのに全包囲鬱放出機が部屋の隅で体育座りをしているので、
目を逸らすにもどんよりした空気を肌で感じてしまう。

(何で霧野は速攻で帰ってんだ、あれ回収するのはお前の役目だろ)

倉間も速水もそんなことを思っている。最早蘭丸のことは爆発物処理班としか認識していない。
気持ちの切り替えが早い浜野がとっとと帰ろうとするのを左右で押さえつけながら、
二人は試合以上に淀んでいく空気に必死で耐えていた。

「もうあれ無視して帰ってよくね?」
「無視したあとに逆上した神童くんが一年生を刺したら大変じゃないですかああああ」
「あー……それあるかも」

まず有り得ないことですら「ありそう」と思わせる程度に今の神童が重傷なので、
倉間も速水も通報役としてこの場に残っていようとする。
事の重大さを思い知った浜野はもともと濁っている目をさらに淀ませながら渋々頷いた。
念の為言っておくが、ここは部活動後のロッカールームであってヨハネスブルグではない。
少なくとも、同級生が殺人未遂を犯す心配をするような場所ではない。

「昨日も駄目だって言ったのにのしかかってきてさ、重いから身動きとれないんだよね」
「毎日毎日元気だねー、サスケ」

やはりただ寝てるだけではなかったらしい。神童が纏う負のオーラも倍増している。
憎しみで人が殺せるならば、神童は今歴史に残る大量殺人鬼に名を連ねたに違いない。
それほどの禍々しさだった。化身が出ているのかと見紛うほどだ。

――これもう駄目だ、通報しよう。殺人未遂あたりで通報しよう。

死んだ魚の目になった三人が目配せして、携帯電話を片手に小さく頷く。
その時だった。

「でもいいなー、犬飼ってみたいなー」

「え、犬?」と言わんばかりに三人全員の視線が一年生に向く。

「犬可愛いよ犬! チワワとかもかわいいけど俺はやっぱりサスケみたいな大型犬が好きだなー」

天馬はほわほわと親馬鹿全開で頬を緩ませている。
止めなければあと三時間以上は余裕で語り続ける時の顔だ。

「いぬ」

顔をあげた神童の顔は晴れやかだった。目に光だって入っていた。
ぱああ、と効果音が付きそうなくらい一瞬で元気な表情を取り戻した神童は、
やおら立ち上がるなりてきぱきと着替えを終えて、ぱんぱんと手を叩く。

「ほら、いつまで話してるんだ! さっさと着替えろ一年!」
「あ、はーいっ」
「やばっ……は、はーい!」

(あー犬で良かったー何だ犬かー落ち込んで損したー)と神童は全身全霊で表現する。
それと同時に、倉間たちは心配して損したと思っている。

「ちゅーかあの『駄目だ駄目だ詐欺』さぁ、合法的に殺せる手段ないの?」

浜野は神童の態度を詐欺呼ばわりしているだけでなく相当物騒な呟きを漏らしているのだが、
その暴言すらわりと前向きに検討し始めるレベルで、
二年生から神童へ対する信頼度や好感度は最底辺へと下降していた。



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