「なぁエンドウ、フィディオの恋人になってくれないか」

それが真顔で言われたのでなければ、即座に吹き出していた自信がある。
だって自分は男だし、フィディオ・アルデナもまた男だ。前提が狂っている。
どう聞いたって冗談なのに、そう呟いたマークがあまりに傷付いた顔をしていたから、
円堂は何も言い返せないままぽかんと口を開けることしかできなかった。

「は……?」

何故マークが突然そんなことを言い出したのかが、円堂にはまるで解らない。
フィディオ本人からならまだしも、どうしてマークに言われるのだろうか。
何より、マークはその一言を呟いた瞬間に酷く息苦しそうな顔 をした。
そんなに苦しくなるような冗談なら言わなければいいのにだ。

「マーク?」
「フィディオはお前が好きだよ」

凛とした輝きを灯しているはずのサファイアの瞳は、ただ悲しげに揺れていた。
軽く首を傾けるその仕草は、フィールドを駆ける彼の姿にはまるで結びつかない。

「……なんでマークがそれを言うんだ?」

ただやっとその一言だけを呟いて、円堂は目の前の少年を見つめる。
マークは笑顔だ。それも、全てを諦めて吹っ切った後の乾いた笑顔だった。
希望なんて欠片も抱いてはいないし、抗うことは放棄している。

「一言で言うなら、フィディオが好きだから」
「は?」

マークの答えとこの行動が、円堂の頭ではまるで結び付けられない。
好きだというなら何故、マークは自分とフィディオを近付けようとするのだろう。

「フィディオが好きなんだ。でも別に、フィディオの幸せを願ってるって訳でもない」
「なあ、お前さっきから何言ってんだ?」
「うまく言えない。そうだな……フィディオには、俺の手の届かない所に行って欲しい」

眉を寄せながら、マークはぎゅっと胸を押さえて、意味を成さない言葉を続ける。
自分の行動が支離滅裂なのは、自分自身でも解ってはいるらしい。
想いの強さが弱いのだか強いのだかが円堂には全く量れない。
サッカーを介さずに人の気持ちを察してやることはあまり得意ではないのだ。

「手の届かない所って……なんで、好きなんじゃないのか?」
「好きだよ」

その問いには、マークは迷わずにまっすぐな目を向けてきた。

「もう何年も好きだったんだ。好きだから、ずっと見てたから知ってる。
 あいつは俺の手の届かない所にいるぐらいでいいんだ」
「なあマーク、お前の言うことが難しすぎてよく解んないんだよ。
 なんで俺にそれを言うんだよ、フィディオ本人に言えよ」
「言う気なんかないさ、口説かれるだろ」
「……それって、マークにとってはいいことじゃないのか?」

マークがフィディオが好きなんだということは確かだ。
何せつい先程豪語しているのを聞いたばかりなのだから。
けれど口説かれるのは嫌なのだと言う。支離滅裂で、ますます解らない。

「正直に言うと、俺はあいつが何を言っても信じられないんだ」
「……好きなのに?」
「好きだからこそだよ。あいつが同じ調子で色々な奴を口説くのを何年も近くで見過ぎた。
 今さら同じことを俺に言われても、それで何か感じられるかって話だ」

フィディオが好きだと言いつつ信用は一切していないらしい。
この質疑応答のお陰で、円堂は少しだけ考えをまとめることができた。

――主にマークの思考回路の面倒くささについてだが。

マークは、本当のところではフィディオを諦めきっているわけではない。
ただ単純に、フィディオが軽すぎて何も信じられなくなっているだけだ。
その結果、どうせ手に入らないならいっそ遠くに行って欲しいと思っている。

「フィディオとは付き合わないよ。そういうことを考える相手じゃない」

まず、マークに言ってやらねばならないのはこの一言だ。
不思議そうに目を見開いているが、そんなリアクションをとられる筋合いがない。
寧ろ、何をどうすれば今までの話の流れで「付き合う」という答えが出せるのだろう。
ひとの心の機微には疎いが、流石にそれぐらいは考え付ける。

「あいつがエンドウを好きなのは本当だぞ」
「でも、マークはフィディオを信じてないじゃないか。
 マークにそんなことを言われても、俺には信じられないよ」
「そうか……困ったな、フィディオ」
「は?」

マークの言葉に、思わず気の抜けた返事をしながら、円堂は後ろを振り返る。
そこには渦中の人物、フィディオ・アルデナそのひとがわなわなと震えていた。
フィディオはひくひくと表情筋をひきつらせて、こちらをじっと見つめている。

「フィディオ?」
「マーク……君、マモルに何の話をしてたんだい?」
「悪いな。俺はどうもこういう話に向いていないらしい。
 お前を売り込みたかったんだが、俺が言っても意味がないみたいだ」

まるで動揺していないマークは、ポーカーフェイスのままぽんとフィディオの肩を叩く。

「頑張れ。お前の口から言えばちゃんと信用してくれるさ」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ、マーク!?」

軽やかにサムズアップして、マークはその場から立ち去ってしまう。
一之瀬やディランの陰には隠れてしまうが、マークだってアメリカ代表の一員だ。
身のこなしは流石の物で、フィディオが伸ばした腕をすり抜けてあっさりと駆けていく。

「……ご、ごめんねマモル。なんか、マークが変なこと言ったみたいで」

イタリア代表のスター選手がここまで目を濁らせている姿を見たのは、
もしかして自分が初めてなんじゃないかと円堂は錯覚しかけた。
そして直後に違うだろうと気付いた。
確実に、テレスかディランのどちらかが見ているに違いない。
何せフィディオはつい先程の一瞬、マークに向けてとにかく必死で腕を伸ばしていた。
あれは試合中さながらの気迫だった。
フィディオが捕まえようとしたのは間違いなくマークの方であって、
弁解したかった矛先もまた円堂ではなく、マークの方だった。
きっとずっと前からそうだったはずだ。

「なあ、フィディオ」
「何かな?」

にこりと取り繕われたその美しい笑顔は、アイドルか何かのようだ。
きらきらと輝きを放つ代わりに、酷く薄っぺらい。

「何が合ったか知らないけど、お前って信用ないんだな」
「…………」

マークの笑顔は何かを諦めてしまった後のものだったが、
フィディオのそれはいっそ憐みすら感じてしまう程度に傷付いた笑顔だ。

(こういうの何て言うんだっけ、二兎を――あー解んないな。緑川今居ないしなあ)

円堂の辞書は、自業自得という言葉が一発では出て来ない。



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